April 01-10,2004

2004年4月
「毛布敷き日和」
2004/04/10 (Sat)

平日だろうと休日だろうとお構いなしに、毎朝6時台に勝手に起き出すコドモは、最近では勝手にリモコンでテレビを付け、起こそうとしてもなかなか起きないばかりか寝起きはすこぶる機嫌が悪い相方さんは軽く無視して、寝起きも機嫌が普通である私を起こしに来るのだった。その起こし方も尋常ではなく、場合によっては、木製のおもちゃの電車にまたがり、寝ている私の脇腹に突っ込んで来るくらいの勢いなので、おちおち寝ていられないので困っている。というか、そんなことするから相方さんの機嫌が悪いという話である。

夜寝る時はその逆で、基本的に体の節々が皮下脂肪によって柔らかくできている相方さんに抱っこを求める。私が抱こうものなら、泣いて相方さんの方へ逃げださんとして体をくねらせ、布団で横になっている、既に妊娠4ヶ月を迎えようかという相方さんのお腹にダイブし、挙げ句、お腹の上でうつ伏せになり、気持ちよさげに眠る毎日である。何だかんだでよく食べよく太っているコドモは既に13キロ近くの体重を誇り、そう考えると、お腹の上に13キロをのせて眠るというのも「母の愛」のなせる技であると感心することしきりである。

少し肌寒い夜の話である。いつものように相方さんのお腹の上でうつ伏せになり、すやすや眠りかけていたコドモなのだったが、不意に起きだし、相方さんのお腹から降りると、近くの毛布を掴み、相方さんに優しく毛布をかけてやっていたのだった。相方さんに対して全く持って何の気遣いもないばかりか、全くお構いなしにお腹にダイブするコドモの、突然の相方さんに対する紳士な行動にある種の微笑ましさを感じながら一部始終を眺めていると、コドモ、相方さんに優しく毛布をかけた後、その、毛布を掛けたお腹の上に躊躇なく乗っかり、毛布に頬をすりすりと擦りつけんばかりにすやすや眠りだしたのだった。なんてこたあない、「毛布を掛けてあげた」わけではなく、「敷き毛布をひいた」という話である。

ここまで完全にベッド扱いされる相方さんのお腹というのも、相当にたくましいと思う。


2004年4月
「ゆるキャラ日和」
2004/04/09 (Fri)

4月に入り、NHK教育の子供向け番組たちも軒並み変化を始めた。何しろコドモが産まれてからほとんど毎日見ているので、気になって仕方がないのである。見ていない人にはさっぱりわからないことを書くかもしれないが、許してほしい。

今回の改編によって、これまでに放送されていた番組たちはどれも、過去の放送を踏まえた上で、その一歩先を進むかのようにバージョンアップしていて格段に面白くなっており、特に「にほんごであそぼ」の、その面白くなり方は尋常ではないのだった。個人的には涙が出そうなくらいに面白くなっていると思う。

問題は、この4月から新しく始まった番組たちである。何が問題かというと、どの番組もいかんせん、どうにも馴染めなくて困っているのである。ケイン・コスギとコドモたちが体を張って遊ぶ「からだであそぼ」のケインの笑顔が私には何度見てもひきつっているようにしか見えず、おかげで見ていて「ケイン、大丈夫か?」と不安に思ってしまい、ちっとも安心して見ていられないのも問題であるが、もっと問題なのは、「ひとりでできるもん」シリーズとして始まった「どこでもクッキング」である。色んな場所で料理人が小学生と一緒に料理を作り、できたものをご家族に食べてもらうという趣旨の番組であるらしく、毎回いちいち出てくる料理人・アジークマの存在も微妙にむかつくが、それより何より、もっと根本的な部分に問題はある。

左から、みぃる、アジークマ

メインキャラクターが、気持ち悪いのである。

なんでも「みぃる」という名前らしい。名前がひらがなであることもむかつく要素の一つではあるが、ここは百歩譲って名前のことは置いておくとしても、何処からどう見ても可愛くないというか、色使いが微妙というか、バランスが悪いというか、一言で言えばブサイクなのである。おまけに、タメ口。NHKのキャラクターを見てむかついたのは、「ニャンちゅう」以来ではないだろうか。

知らない人のために説明しておくと、「ニャンちゅう」というのは、土曜の夕方にやっている「ニャンちゅうといっしょ」という番組に出てくる、ねずみの着ぐるみを被ったネコという何ともわかりにくいキャラクターで、声がもの凄いダミ声の、おっさんである。語尾が「〜ニャのよ」みたいな感じの微妙なネコ言葉で、無性に腹が立つキャラクターである。

そんな、ニャンちゅう以来のブサイクキャラが、「みぃる」である。個人的にはコドモに人気が出るとはとてもじゃないが思えないのであるが、とはいえ、「なかやまきんに君」がブレイクする世の中であるので、今更何がどうなっても別に驚かない気もする今日この頃である。


2004年4月
「もらいタバコ日和」
2004/04/01 (Thu)

仕事で同じ部署の、30半ばの独身男性、面倒なので「おおおお」さんとするが、その「おおおお」さん、最近タバコを始めたらしいのだった。エイプリルフールかと思いきやそういうわけでもないらしい。人づてに聞いた所によると、ただのタバコではなく、何でも「もらいタバコ」を始めたのだそうである。「もらいタバコ」ということは、つまり「タダのタバコ」である。などと寒々しいことを書くと読者に申し訳ないが、それぐらいのことを言いたくなるぐらいに、どうでもいいっちゃあどうでもいい話で申し訳ないと思う。とにかく、「おおおお」さん本人がそう明言していたらしいから、間違いないのだそうである。

この、禁煙、禁煙とうるさいご時世に、敢えて、もうそろそろいい歳のオトコが、今更ながらタバコを始めるというのは、いかがなものだろうか。しかも、もらいタバコというその女々しさは何だろうか。

それはそれとして、これは私が昔から常々抱いている疑問ではあるのであるが、「人がタバコを吸うきっかけ」というか、「タイミング」というか、「ちょっとタバコでも吸ってみるかな」と考える、その瞬間がいつ訪れているのかがわからないのである。人はいつ、わざわざ葉っぱを紙で巻いたものの先端に火を付け、口にくわえて吸おうと思うのだろうか。或いは、「タバコを吸ってやろう」と思うに至る行程も、またわからない。「人が吸っているのを見て、おいしそうだから」だろうか。それとも「友達に勧められて」だろうか。或いは「そこにタバコがあるから」なのかもしれないが、とにかく、私が「吸ってみよう」と考えたことがない人間であるので、何を言われても今ひとつピンと来ないというのが正しいのかもしれない。

ただでさえわからないのに、これが、30半ばの独身男性となれば、もはやわかるわけがない話である。つまり、敢えて馴れ馴れしくちゃん付けで呼んでみるが、「おおおお」ちゃんの気持ちが全くわからないのである。本人に直接聞きゃあいい話ではあるのだが、そんなことを聞くと関係ない話までされて無駄に話が長くなりそうなので、面倒なのである。というか、知ってどうする。だいいち、別にそんなに言うほど知りたくもないし、むしろ、知りたくないという気すらする私である。



back
top

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送