December 11-20,2003

2003年12月
「すご録日和」
2003/12/20 (Sat)

我が家のDVDプレイヤー、といってもプレステ2なのだが、これが何だか、見ている最中突然早送りになったり、次のチャプターへ勝手に飛ばされたり、気が付いたらメニューに戻っていたりと非常に腹立たしい壊れ方をしたため、新しくDVDプレイヤーを買うことにしたのだった。それで、どうせだったらと最近流行りのHDDレコーダー付きのを買うことにしたのだった。

電気屋でどれが良いか店員に確かめると、とにかく容量が大きいのがお薦めですと、ソニーの容量が250Gのやつを薦められた。その店員曰く、最長何百時間とか言っても、最長の録画モードというのはVHSの3倍で録ったよりも画像は荒いし動きはカクカクしているしで見られたものじゃないのだそうで、そうなると容量が大きくて値段が手頃なのが良いということになるらしい。電子番組表や、スカパーの録画について確認し、結局ソニーの「すご録」というやつにしたのだった。

でまあ何が便利かって、いちいち録画するたびにテープを入れ替えたりしなくていいのもかなり便利であるのだが、それより何より、電子番組表が便利なのである。これはスカパーもそうなのだが、要するに勝手に番組表データを受信してくれていて、画面で番組を選んで録画予約ができるという代物なのである。つまり、午前と午後を間違えたがために見たくもない「釣り・ロマンを求めて」を録画してしまったり、チャンネルを間違えたがために「芹沢信雄&東尾理子のゴルフショウダウン」を録画してしまったりすることから、完全に解放されるのである。これを画期的と言わずになんと言うのか。

さらに驚くのが、この機種では、人類が「録画予約」というシステムを手に入れて以来悩まされ続けてきた、あの「野球中継延長問題」に対応しているというのである。ついに、テクノロジーの勝利である。一体どういうことになっているのかと思って店員に確認すると、「いや、延長しそうな番組は、延長しそうな分だけ長く録画するってだけなんですけど・・・」という話だった。つまり、1時間の番組を1時間30分録画するということらしい。

それでいいのか、テクノロジー。

でもまあ、ないよりはマシである。そう思えば、これはテクノロジーの偉大な一歩なのではないだろうか。

ちなみに、「緊急のニュースとか、この間の日本シリーズみたいな60分以上の延長には対応してない」のだそうだ。そこを何とか踏ん張って欲しいと思うのは私だけではあるまいと思う。


2003年12月
「枯葉日和」
2003/12/19 (Fri)

ヤマザキ先生という保育所の先生がいる。おばあちゃんである。よく知らないが、きっと森光子ぐらいの年だと思う。

以前に紹介したことがあったかもしれないが、彼女の言葉選びのセンスには、戦時中を生き抜いてきた人だけに許される特有の何かを感じ、私と相方さんの間では彼女の言動には一目も二目も置いているのであるが、今日の保育日誌には彼女の達筆で、こう記されていたのだった。

庭に地べたりあんで、枯葉をつまんで「食べようかなー」と思案しています。

「地べたりあん」という言葉が普通に出てくるのも凄いと思うが、「枯葉をつまんで「食べようかなー」と思案」というのは一体何事か。普通、人は枯葉をつまんで「食べようかなー」とか思案したりしないはずである。うちのコドモも、バカにされたものであると思う。


2003年12月
「携帯日和」
2003/12/14 (Sun)

約5年ぶりぐらいに携帯電話を買い換えた。vodafoneのV401SHという機種である。これまで様々な携帯電話を見てきたが、実はそのデザインにときめいた試しがなかったのだが、今回初めて、そのデザインにときめきを覚えたため、ニュースか何かで見た瞬間に買い換える決意を固めたのである。

さすがに5年前の機種と比べると、その機能アップ加減には圧倒されるほどである。液晶画面は大きく、しかも明るく綺麗であるし、当然のようにカメラは付いているし、メモリカードも使えるし、ゲームもやろうと思えばできるし、あと、着メロも40和音なのだそうだが、「和音」という単位の意味がイマイチわからない。それから、ボタンの押しやすさには感動を覚えるのだが、今になって思えば、これまで使っていた機種のボタンが異常なほどに押しにくかっただけのような気もして、少し切なく思う。

何より文字変換が凄いことになっている。何しろ、ひらがなを少し入力しただけで、よく使う単語が変換候補に出てくるのである。例えば、「あ」と入れれば変換候補に「哀川翔」と出てきたり、「た」と入れただけで「竹内力」が変換できたりするわけである。パソコンだったら逆に鬱陶しそうな機能であるが、携帯電話となると話は別である。そもそも文字入力が面倒なので携帯のメールをほとんど使っていなかっただけに、この文字入力・変換機能には驚かされた。たまたまそのことに気付いた時に新幹線で一人だったこともあり、思わず長文メールを作ってみたほどである。どうりで、携帯メールがここまで普及するわけである。

そういえば、携帯でテレビが見られる時代なのだった。この先、携帯でお弁当を温めたり、寝グセを治したり、ちょっとしたおかずだったら軽く冷蔵庫の余り物で作れるようになるのかもしれないのである。

さて、以前使っていた機種はもういらなくなったので、電池をはずしてコドモのおもちゃにしたのだったが、コドモは、ボタンを押したり耳に当てたりして電話する真似をするかと思いきや、何故か、電池を入れる部分のフタを開けたり閉めたりして楽しんでいるだけなのだった。やはり、コドモも嫌がるほどに、ボタンが押しにくい機種だったのかもしれない。

参考リンク:vodafone V401SH >>

2003年12月
「松本日和」
2003/12/13 (Sat)

京都でいつもやっているイベントのメンバーで遠征するため、車2台で長野県は松本市へと向かう。早朝に京都を出発し、昼過ぎに松本へ到着。差し当たり昼ご飯を食べるべく、瞬発力で選んだ適当な中華料理の店に入ることにした。

畳の座敷に通され、少し大きめの丸いちゃぶ台みたいのを囲んで座る。中華料理屋のくせに「畳の座敷」というのが既に間違っているが、実際、内装はどこからどう見ても和食料理屋で、唯一中華料理屋の匂いを醸し出すものとして、申し訳程度に、中華料理特有の、あの丸くて赤くてくるくる回るやつがあったのだったが、それもちゃぶ台の上に設置してあれば意外と和のテイストであるのが不思議である。それでもメニューにはコテコテの中華料理が並ぶのだが、下の方に2行ほど申し訳程度に「信州そば」の文字があり、さすがにインターを降りてすぐの店だけあって、観光客相手のそばだけはメニューからはずせなかったのだろうと思う。松本に初めて来た人たちは、こぞってそばを注文し、そうでない者はそれなりに注文をしたのだった。

ふと気が付けば、座敷の周りには「とりあえずビール 3000円」などというようなよくわからないチラシが所狭しと乱雑に貼られていて、気になってしかたがないのだった。よく見ると、おそらく元々和食料理屋だったのだろうことを匂わせる日本人形やタペストリーなどの徹底した和の内装に馴染むように、隠れるように何がしかのホルマリン漬けが飾ってあり、その一角は、もはや和でも洋でも中でもなく、ただの理科室である。

数人がざるそばを頼んだのだったが、運ばれてきたのは「そば」と「そば湯」のみで、つゆも薬味もやってこない。「信州そば」とはそういうものなのか、それとも、ただバカにされているだけなのかよくわからないまま、とりあえず次に店員さんがきたら聞いてみようということで話がまとまり、おとなしく待っていると、次にやってきた店員が、見た瞬間に誰もが「こいつ、社長だ」と思わずにはいられないロマンスグレーのおっさんで、しかも座敷の入り口から手を伸ばして「はい、これ!」と、まるで親戚のおっさんのような態度で私たちにざるそばを渡そうとする、その馴れ馴れしさに驚いたのだったが、もっと驚いたのは、一人が「これ、つゆは・・・?」と確認した時に社長が思わず呟いたセリフが「あ、ごめん!」とタメ口だったことである。

社長は、いつだってタメ口である。

社長の攻撃を耐えしのぎ全員が何とか無事食事を終え、しばらく、主に社長に関する下らない話をしてダラダラと過ごしていると、バカにされていることを感づいたのか、座敷入り口に何気なく社長が現れて、「もう帰る? まだいる?」と、タメ口全開で聞いてきたのだった。何度も書くが、確実に親戚の立ち居振る舞いである。「もう帰る?」なんて、父親の実家で、父親の兄貴ぐらいが言うセリフである。笑いをかみ殺しつつ「もう少ししたら帰りますけど」というようなニュアンスで答えると、社長は軽い笑みを浮かべながら「サービスで、リンゴ、剥いてあげるから」と言うのだったが、ここまでくれば、もはや親戚のおばさんの領域である。何が彼をそうさせるのかが全くわからないまま、なすがままに出されたリンゴを頬張る我々である。

お皿にもられた、もしかしたら毒りんごかもしれない信州りんごを、意味なく中華料理のくるくるテーブルでまわしてみんなで美味しく頂き、店を出ようとすると、社長が話しかけてきた。

「どこから来たの?」
「京都です」
「ああ、そう。うちは芸能関係の人がよく来るよ」

ここまでの流れからしてどう考えてもそうは思えないのだが、社長はそう断言したのである。また、その後続けて「あとは、これ関係の人」と言いながら、よくハエがするような手ぶりをしたのだったが、その意味が全くわからず、その後にそれが何か宝石か何かのことであるというような説明を聞いたのだったが、何のことだかさっぱりわからなかったのだった。

松本という街は、何となくそういう、良く言えば温かさ、一歩間違えれば不思議な馴れ馴れしさを持った街であるような気が勝手にしている私である。



back
top

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送