November 21-30,2003

2003年11月
「粉薬日和」
2003/11/29 (Sat)

うちのコドモは、粉薬をちっとも嫌がらずに飲む。嫌がらないどころか、むしろ美味しそうなのが不気味である。

以前にも何度か書いているが、基本的に我が家では「粉薬を指につけてコドモの口に突っ込む」という、かなり野性的な飲ませ方をしているわけなのだが、改めて考えてみると、例えば私が今こんな飲ませ方をされたら、かなりの屈辱というか、そんな飲まされ方したくないというか、「どうでもいいけど、まず水をくれ」と怒るだろうと思うのであるが、何も言わず、水も飲まず、美味しそうにニヤニヤしながら薬を舐めるコドモは、相当にたくましいと思う。

実はコドモ用の粉薬は、ほのかに甘く味付けられている場合がほとんどであるのだが、中にはどうにも味が付けられない抗生物質なんかもあって、今回も、病院の先生が「これは苦いから嫌がるかもしれませんが、頑張って飲ませてやって下さい」と言いながら渡してくれた粉薬もあるにはあったのだったが、うちのコドモにかかれば、そんな薬も、ただのラムネ菓子である。カバヤのジューCである。あっと言う間に舐め尽くし、挙げ句、空になった袋を自分で勝手に指でほじって舐めるのだった。

余りにも美味しそうに舐めるので、もしかして、カタカナで書く方のクスリだったらどうしようと不安になるのだった。


2003年11月
「じんましん日和」
2003/11/25 (Mon) - 26 (Tue)

コドモが相変わらず風邪で体調が悪く、熱や鼻水の溜まりすぎでなかなか寝付かなかったり、夜中に泣き出したりしがちであるのもあって、疲れが溜まっていたのかもしれない。生まれて初めて「じんましん」というものになった。

その日の朝から予兆はあった。というか、仕事中も何となく腰の辺りが痒かったり、腕がむず痒かったりして、スーツの上からそれとなくワッサワッサと掻きむしっていたのだったが、痒いのはきっと、前日お風呂に入らなかったせいだろうと思い、さして気にもしていなかったのである。夜になって家に帰り、夕飯を食べてのんびりしようと思っていたのだが、不意に腰、太もも、ふくらはぎなど、いたる所が否応なしに痒くなりはじめ、それでもまだ何とも思わず無意識にポリポリと掻き続けていると、掻いたあとに虫さされのような湿疹がボコボコ出始めたのだった。これはもう掻いている場合ではないのは分かるのだが、痒いものは痒いので困るのである。お風呂に入ったり、一晩寝たりすれば治るだろうと思い、痒みを堪えて眠るが、翌朝になっても収まる気配がなく、むしろ湿疹がおでこにも出始める始末である。これはまずいと、咄嗟に会社を休んで病院へ行ったのだった。

診察の結果は「じんましん」。こういう突発的なじんましんについては原因が特定できない場合がほとんどだそうであるが、疲れやストレスも原因の一つであるらしいので、きっとそれだろうと思う。もらった薬を飲んで家でのんびり過ごしていると、なんとか体の方は落ち着いてくれたのだったが、それ以来、ちょっと頭が痒かったり、腕が痒かったりしても、怖くて掻けない私である。

ちなみに、「じんましん」を漢字で書くと「蕁麻疹」なのだそうで、これが如何にも痒そうな漢字であるのが、ちょっと可笑しいと思う。


2003年11月
「尾道日和」
2003/11/23 (Sun) - 24 (Mon)

相方さんの友人が結婚式をするというので、広島県は尾道まで子連れで出掛けることにしたのだったが、数日前までコドモは風邪気味で体調はイマイチ。無事に帰ってこれればいいなあと思いつつ出発する。

尾道駅前のホテル、というか、その近くの、とってつけたような神社で挙式をするらしく、ホテルから神社までの歩道橋をしなしなと歩く新郎新婦を傍目で見ながら、披露宴が始まるのを待つことにした。コーヒーでも飲んで休憩しようと思うのだが、オトナにとってはちっとも面白くないホテルのロビーであっても、コドモにとっては「ソファが牛革!」、「クリスマスツリーの飾り付けが微妙!」などと楽しくて仕方がないらしく、ひたすらウロウロヨタヨタと歩き続け、キョロキョロと周りを眺めて楽しそうで、まるで猿である。最近のマイブームが「エレベーターのボタンを好き勝手に押すこと」であるコドモは、エレベーターを見つけてはボタンを指さし「父ちゃん、オレは押すぜ!」と目で訴えかけてくるので困るのであるが、今日もやはりホテルのエレベーターを目ざとく見つけ、小走りで駆け寄って行ったのだった。乗りもしないくせに。というか、乗られると困るのはこっちであるが。

なんだかんだで延々30分近くコドモとウロウロした後、ようやく披露宴会場へ。テーブルの上の料理にいち早く気付いたコドモは、自分が空腹であることを思い出し、新郎新婦の入場も待たずに早速料理にがっつき、大はしゃぎである。私と相方さんは披露宴そっちのけでコドモに食事を与え、抱っこしたり、新郎のいとこだかなんだかが唄うカラオケに合わせて踊らせたりして遊んでいたのだった。

ふと気がつくと披露宴は、新郎の叔父が何故か「娘よ」を唄い、しかもそれを聴いた人たちが号泣するという、一体誰の披露宴なんだかよくわからない事態になっていて可笑しくて仕方がなかったのだったが、笑っていたのは私と相方さんだけだった。不思議である。

披露宴が終わった後、ホテルの部屋へ戻ると、コドモの顔が急に真っ赤になり、突然泣き出したのだった。おでこを触ってみると、どうも熱があるらしい。それも、かなりの高熱である。はしゃぎすぎて知恵熱でも出たのかと思い、とりあえず必死で寝かしつけたものの、垂れ流していたテレビに映った「サンダーバード」の人形の口が怖かったからなのかどうかは知らないが7時半頃に泣いて起きだしたコドモは、披露宴で食べたものたちを綺麗さっぱり吐き出してしまったのだった。相当につらそうである。その後も全く泣きやまないコドモを連れてベビーカーで夜の尾道駅前をぶらぶら散歩し、夜11時頃になってようやく寝付いたコドモだったが、部屋に戻るとまた起きて泣き出してしまった。結局私がほぼ徹夜でコドモを抱いてホテルの廊下をウロウロしたりして寝かしつけ、このまま尾道に居続けてもどうにもならないと判断した私たちは、翌日、ホテルの朝食バイキングだけ食べて、早々に帰京することにしたのだった。

帰りの電車の時間まで少し時間があったので、駅前の公園というか広場というか、芝生の所でひなたぼっこをする。良い天気である。観光日和なのが少しむかつくが、でもまあ「坂」が名所みたいな所もある尾道をベビーカーでウロウロするというのも疲れる話であるので、コドモが自由自在に歩けるようになってから来ようと思うことにする。

帰りの駅のホームで、深夜の大泣きが嘘のようにご機嫌なコドモの、熱は少し下がっていた。嵐の前の静けさ。その後コドモは、京都に戻ってからも1週間熱にうなされ続け、さらにその後、早くも人生2度目の入院生活を経験することになるのだが、それはまた、別の話である。



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