September 01-10,2003

2003年9月
「入院日和」
2003/09/04 (Thu) - 09 (Tue)

唐突だが、私のコドモがしばらく入院することになった。熱がなかなか下がらないコドモを連れて、たまたま私が会社を休んで近くの小児科に連れて行った際に念のために撮ってみたレントゲンが、くっきり写ってなければならないものが何やらぼんやりとしか写っておらず、ついでに血液検査をしたら何だか肺炎っぽい数値が出たので、明日から入院してくださいと言われたのだった。本当はこの土日にアキオさん(実父)、ケイコさん(実母)、相方さん、コドモと5人で旅行に出掛けるつもりだったのだが、こうなったからには即キャンセルである。アキオさんとケイコさんにも連絡すると、アキオさんが入院の手続きに付き添ってくれることになった。持つべき者は親である。

翌日、相方さんにアキオさんが付き添い、入院手続きを済ませる。私が普通に仕事を終えて病院に着いたのは既に夜8時。小児科病棟の、何となく小学校を思わせるような廊下を歩き、見ず知らずの女の子に「パパ!」と声を掛けられて戸惑いながら病室へ向かうと、夕飯を終えたコドモが随分と落ち着いた様子で迎えてくれたのだった。相方さんに話を聞いてみると、24時間点滴付けっぱなしを余儀なくされたコドモは何故か入院してから常時平熱をキープし続け、肺炎気味な症状も軽減。病院食をたらふく食べ、狭いベッドを、文字通り所狭しと動き回って奇声を発して楽しんでいたのだそうだ。今日の所は相方さんに病院に泊まってもらって、私は帰宅。洗濯などしてから翌日朝に再び病院に出向くことにした。

翌日病院に行って聞いた話によると、朝、コドモが大泣きしているので相方さんが何事かと思って見てみると、点滴が刺さっていることを何とも思っていないコドモが、包帯をぐるぐる巻かれた腕を楽しげに振り回しすぎたらしく、点滴がこっそりと外れてしまっており、おかげで腕がフランスパンのようにパンパンにふくれあがっていたのだそうだ。慌ててナースコールを押し、点滴を違う方の腕に差し替えてもらうと、コドモはあっさり寝たのだそうだが、普通、腕がパンパンに腫れ上がってたりしたら、そう簡単に眠れるものではないと思うのだが、きっと食いしん坊な我がコドモのことだから、「お、おいしそうなフランスパンが!?」とか思って幸せそうに寝たのではないだろうか。

土曜日には私が病院に泊まることにしたが、点滴を打ちっぱなしなので尿の量が半端ではなく、油断するとオムツにおける尿の許容量をオーバーしてしまい、つまりはお漏らし状態となってシーツが濡れてしまうので2〜3時間置きにオムツを換えてやらねばならず、というか一度油断してシーツを濡らしてしまったのだが、まあ構わずコドモは寝ていたのだった。それで安心して、そういうことなら寝てやろうとこっちがようやく寝付き始めた午前4時半、老人ばりの早起きさで猛烈に遊び始めたコドモの点滴が絡まらないように細心の注意を払いつつ、うつろな感じで過ごす。同室の他のコドモたちは当然のようにすやすや眠っているので、静かに、必死に寝かしつけるも6時まで寝付かず。そこからようやく7時半まで束の間の休息。結局一晩寝た気がしない状態なのだった。起きたら起きたで病院食をほぼ完食。まるで元気な様子である。

薬を霧状に噴射して肺に入れる、吸入器と呼ばれる器械があり、それを、嫌がるコドモに対して一日3回必死にやるのだったが、その器械の名前が「ミニポン」で可笑しいのだった。やりながら、意味なく「ほれ、ミニポンっ。ミニポンっ」と口に出して楽しむ私たちである。

ミニポン

お見舞いに保育園の保母さんが来てくれて、うちのコドモが「食べ物の絵本をじっと見ていた」だの、「人のお菓子をパクつく」だの、「油断してると砂とか食べる」だの、食い意地のはった話ばかり聞かされる。面白いけど。

土日ずっと病院にいて、月曜は歯医者だったので病院は相方さんに任せていたら、月曜の間に、火曜日退院することが決まったのだった。月曜にレントゲンを撮ってみたら嘘のように綺麗な仕上がりで、血液検査の結果も問題なく、即点滴もはずれたそうだ。コドモはしばらく点滴のない腕をじっと見つめて、振り回してみたりしたりしていたそうで、どうも、挙動が猫であると思う。コドモって、結構猫っぽいのよな。

そんなわけでコドモが無事退院した火曜日、前日に「退院祝いだ」と意気込んで大量の栗ご飯を炊いておいたにも関わらず、何故か私は会社でトラブルに巻き込まれて徹夜。世の中、上手くいかないようにできているらしい。


2003年9月
「ゴキジェットプロ日和」
2003/09/02 (Tue)

これまで我が家には「アースジェット」という殺虫剤が常備してあり、黒くて汚なげで動きが不気味な生き物を発見した際には死に物狂いでそのスプレーを噴射しまくっていたのだったが、実際の所、彼らにとっては多少の衰えは見せるもののこれといった効果はなく、結局逃げられてしまうか、或いは、いつ飛びかかられるかもわからないというもの凄い緊張感の中、冷や汗混じりにハエ叩きで叩きつぶすかのどちらかしかなく、どちらにしても彼らが現れると、酷く後味の悪い、牛乳を飲んだ後のミカンのような状態に陥ってしまうしかなかったのだった。

そんな中、相方さんが近くのディスカウントショップで手に入れてきた殺虫剤が、その名もズバリ「ゴキジェットプロ」だったのである。こいつが、まあ凄い。

不意に現れたゴキ夫(48歳・住所不定・無職)に、説明書き通り「ゴキジェットプロ」を5〜6秒、追いかけながら噴射してやる。すると、ゴキ夫の動きは見る見る衰え、というか、スプレーを止めた瞬間には、ほとんど動かなくなっているのである。これで落ち着いて息の根を止められるという寸法である。

しかし、ゴキジェットプロが凄いのは、ここからである。私が翌朝朝食を食べるべく台所に行くと、昨晩ゴキジェットを吹き散らした辺りの床に何か黒い大きめのものが落ちているので何かと思ってよく見ると、そこには、何故かゴキ太郎(24歳・住所不定・無職)が、瀕死の状態でひっくり返っていたのである。つまり、ゴキジェットプロの残り液が、ゴキ太郎を瀕死に追い込んだということである。これはもう、完全にプロの仕事である。さすがに、「プロ」と名乗っているだけのことはあるのである。

考えたのだが、きっと「ゴキジェットプロ」とは親切な小人たちなのではないだろうか。あのスプレー缶の中でひしめき合いながら出番を待っている彼らは、吹き出された直後に目の前の的をプロの仕事で仕留め、その後もしばらくパトロールをしてくれているのではあるまいか。そう考えるとゴキ太郎の死も納得がいくのである。そうでなければ、きっと犯人は、ドラマが始まって15分ぐらいした頃に出てきた、一番事件に関係なさそうな、でも理由ありな雰囲気の、幸薄そうな女性(国生さゆり)に違いないと思う。



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