July 11-20,2003

2003年7月
「アメリカ日和 その1」
2003/07/18 (Fri)

イチローがヒゲをのばして人気者になった街・シアトルからバスで2時間半ほど走った所に、Anacortesという町がある。例えば京都から車で2時間半走れば日本海側にある、爺さん婆さんがやたらと無防備に歩き回っているような、治安の良さでは日本一みたいな田舎町にたどり着けるように、Anacortesという町も、寸分違わぬ田舎町である。田舎町ではあるが、ただの田舎町ではないのは、この町やその周辺が、アメリカのインディー音楽業界において、その奇人変人率の高さでは定評のある、knw-yr-own、Kといったレーベルの拠点であるからである。

何の話かというと、N-16がそのAnacortesで開かれるknw-yr-own主催の「What the Heck Festival」というイベントにてライブをするようにお誘いを受けたため、メンバーそれぞれがそれぞれの都合で好き勝手にアメリカへ出発し、7/19にライブをして、これまた各メンバーがそれぞれの都合で好き勝手な時間に帰国する、つまりは現地集合、現地解散という小学校の遠足ではあり得ないオトナならではの自由さでもって、自由の国・アメリカでのライブを決行することとなったわけなのである。

私の都合とは何か。それはつまり、仕事であり、家族である。本当のところ、この7月は仕事上かなり休める状況にはなかったりするのだったが、都合よく日程が連休と重なったのもあり、半ば強引に一日だけ休みをもぎ取った私は4連休を獲得。ちょうどこの数日前に会社を辞めた相方さんと、ちょうどこの数日前に風邪を治したばかりのコドモの3人で、2泊4日という強硬スケジュールにてアメリカに挑んだ我が家なのだった。これは、その、汗と涙の記録である。

7月18日金曜日。日本。京都から新幹線と成田エクスプレスを乗り継いだ私たちは、出発時間が間近に迫ってるくせにチケットカウンターで「パスポートを家に忘れちゃったんですけど、いや、家にはあるんですけど・・・」などと泣きついている絶望的な青年を尻目に、17時10分、成田空港から無事出国。アメリカはシアトルへ8時間のフライトである。何故関空や伊丹ではなくて成田なのかという話は、真面目に書けば長くなるが、簡単に書けば「色々と都合が良かったから」である。

機内には何故か赤ちゃん連れが多く、ついでに4分の1ぐらいは修学旅行の女子高生なのだった。女子高生に混じってほんの数人だけ男子高生がいて、一体何の高校なのかよくわからないが、とにかくはしゃいでいた。思う様、はしゃいでいたのだった。それはそれとして、他の赤ちゃんがかなりのぐずつき具合だったのに比べ、うちのコドモは終始ご機嫌で、ほとんど大人しく寝くさっていたのだった。たまに起きてもニコニコしており、親としては非常に助かる展開に思わず寝る私と相方さんである。実際、ここまでの交通機関にてかなりの労力を強いられるだろうと想像していたのだったが、コドモが思いの外良い子でいてくれたおかげで、大した疲れもなく、穏やかな気持ちで過ごせていたのは、ある意味奇跡的である。

穏やかな気持ちでアメリカ入りした我々を迎えてくれたのは、やけにしつこい入国審査官だった。最初に「何しに来ましたか?」と訊かれたので「観光です」と答えると、入国書類に記載してあった、泊めてもらう予定のThe CrabsというバンドのJohn&Lisa夫妻の住所が書かれた「宿泊先」の欄が明らかにホテルではないことを指摘し、「お前、これ、友達の家やないか。観光ちゃうやろ、友達に会いに来たって言えや」と怒られたかと思うと、そこから怒濤のように質問攻勢が続き、「友達の仕事は何だ」、「何処でどうして知り合った」、「お前の仕事は何なんだ」、「楽器を持ってきたのか?」、挙げ句「お前はそれで、友達にあって、20日にもう帰るのか?」と怪しまれ、「仕事の都合だ」と言うと"OH,MY GOD..."と同情された。何というか、そんなことはいいから、とにかく早くここを通して欲しいと思う。

空港からAnacortesへ向かうバスの乗り場で、Johnの家に電話しようとするも公衆電話の使い方がさっぱりわからず挫折しながら待つこと数分。やってきたバスの、気の良い、私の会社にいる営業のメガネの人によく似た運転手の兄ちゃんからチケットを買い、何故か老夫婦ばかりが乗ったバスにてAnacortesへ出発。7月18日11時30分の話である。

バスは、ひたすら真っ直ぐで広い、いかにもアメリカな感じの道をひたすら走り続けているのだった。途中、停留所に停まるたびに外へ食べ物を買いに行ったりする人が現れて、しかもなかなか帰ってこず、「嫁さんに逃げられた」などとアメリカンジョークを楽しんでいる。何とものんびりした人たちである。きっと、もっとギスギスしたアメリカもあるのだろうが、どうもこの辺りのアメリカは、のんびりしているアメリカのようである。そして何より、良い天気である。というか、良い気候である。もの凄く晴れ渡っているのだが、日本のようにジメジメしておらずカラッカラで、それはもう、カラとカラの間にわざわざ小さいツを入れたくなるほどの乾きっぷりで、暑くてもちっとも嫌な気がしないのである。「ああ、日差しが強いなあ」、ただそれだけ。過ごしやすいったらありゃしない。そりゃあ、みんなのんびりするはずである。

何処かのホテル前にて、より小さいバスに乗り換える。運転手は浦沢直樹が描きそうな陽気なおじさんで、乗っている10数名の、老夫婦とその孫たちみたいな人たちは、みんな私たちが降りた後にバスが向かうフェリー乗り場みたいな所で降りて何やらバカンスを楽しむような雰囲気だった。というわけで、他に誰も降りる人がいない中、Downtown Anacortesという、平たく言えば町中のガソリンスタンドでバスを降り、宿泊予定のJohn&Lisaの家へ電話をしようとするも、相変わらず公衆電話の掛け方がわからない。仕方なく持っていた住所から家を探そうかと思い歩き始めた所、まるで迎えに来てくれていたかのような絶妙の間とタイミングで、何やら買い物帰りのN-16ニッタとトリイくんが私たち家族の目の前を通りすがろうとしていたのだった。思わず手をあげ、年甲斐もなく必死にアピールしつつ再会を果たし、John&Lisa亭へと連れて行ってもらったのだった。

John&Lisa亭は、バス停からすぐだった。というか、目と鼻の先である。ついでにいえば、どうもこの辺りの家には目立つ位置に住所の番地名が書かれているらしく、住所がわかってればどの家かも、意外とすぐわかるようになっていたのだった。

家の中に入ると、アヤコ夫妻とJohn&Lisa夫妻、そしてそのコドモのVinsent君がいて、おもちゃで遊んでいたのだった。白人のコドモを見るたびに思うのだが、彼らはどうしてこう、オトナっぽいのだろうか。それに比べて我がコドモの顔の丸さは一体どうしたことかと思う。まあ、可愛いからいいけど。でまあそれはそれとして、JohnとLisaにご挨拶。差し当たり、テーブルの上にあったプチニンジンみたいのをちょちょいのちょいとつまみつつジュースを頂き、ようやくのんびり過ごすことができたのだった。アメリカ時間で7月18日午後2時30分、日本時間で言えば、あまり考えたくもないが19日早朝の話である。「そりゃ疲れるわい」っちゅう話である。

「アメリカ日和 その2」へつづく

2003年7月
「名付け日和」
2003/07/13 (Sun)

とにかく、塔島ひろみさんの、二人目のコドモの名前が凄いのである。

「車掌」というミニコミがある。ミニコミというと、どうも同人誌のようなものを想像されて勝手にオタクな人を想像されてしまいそうで困るのだが、実際はそうではなく、音楽で言う所のインディーズ的な扱いの書籍を全般的にミニコミと称するらしいのである。そして、この「車掌」というミニコミは、2年に1冊くらいのペースで出版されており、現在21号が出版されている、ミニコミの中では結構有名な部類のものなのである。

内容はというと、毎号用意される、「げっぷ」「偶然」「記憶」「画びょう」などのテーマに沿った日記やコンテスト、そのテーマも踏まえた上での連載コーナーの数々といった所である。連載コーナーとしては、見ず知らずの何でもない一般人をひたすら尾行する「ドキュメント・ザ・尾行」、日本語の文法をかなり強引に解説する「楽しいつづり方教室」、そんなに特徴があるわけでもない一般人の家族をインタビューする「シリーズ家族百景」など、かなり私好みな内容であり、またその独特な面白さを持った文章は、これまでに見たことのないタイプの、類い希なるセンスに溢れていて個人的に大好きなのであるが、その独特な文章のほとんどを書いた人物こそ、「車掌」の編集長でもある、塔島ひろみさんなのである。(ちなみに、「ドキュメント・ザ・尾行」、「楽しいつづり方教室」はそれぞれ、出版研から書籍として出版されています。特に「楽しいつづり方教室」は必読)

彼女が一人目を妊娠してから出産に至るまでに書いた日記をまとめた車掌文庫「20世紀終わりの夏、私はこんな風に子供を産んだ」は、我が家の出産時のバイブルだった。そして、その文庫にはもう一つ、私たちにとって、とても刺激になることが書かれていたのである。

彼女がその時に産んだオトコのコの名前を、「麦太」という。

この名前を初めて知った時、正直、やられたと思ったものだった。何しろ、これまでに私たちが聞いたことのある名前の中で、間違いなく一番可愛い名前だったのである。そして、「そうか、意味とか関係なく、ただただ可愛い名前を付けてもいいのか」と、目から鱗が落ちたわけなのだった。かくして、私たちは、自分たちのコドモに自分たちが思う可愛い名前を付け、最初こそ親に驚かれたものの、今となっては全く違和感なく、何処へ行っても可愛い名前だと賞賛されるに至っているわけなのである。

さて。車掌の最新号である21号を読んでいると、どうも彼女にコドモがもう一人できたらしいのだった。となると、今度は一体どんな名前を付けたのかと気になり始め、記事そっちのけで必死で探して見つけ出したその名前を見た時、私は、思わず鳥肌がたったのだった。そして、上手く言えないが、何というか、この人には絶対かなわないと思ったのだった。

長女の名前は、「麦子」というのだそうである。

とにかく、塔島ひろみさんの、二人目のコドモの名前が凄いのである。



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