May 11-20,2003

2003年5月
「トロピカルイエロー日和」
2003/05/20 (Tue)

朝目が覚めると、右目から何やら黄色い液体が流れていて、かなり焦った。目やに、というよりは、膿である。鏡で見てみると、右目だけ充血しているのだった。しかしながら、かゆいと言われればかゆいような気もするが、見た目ほど痛みもかゆみもなく、本人としては至って元気である。確か新卒で就職してからすぐに、会社の助成金で買った、というか貰ったものの、ほんの数滴垂らしたか垂らしてないかぐらいしか利用した覚えが無く、ついでに言えば何処にしまったかも覚えがない目薬があったはずなので、探して差してみようかと思ったのだが、薬という薬を手当たり次第に放り込んでいるような状態の引き出しに収まっていたその目薬の余りにも余りなトロピカルイエローは、思わず差すのをためらうほどなのだった。目薬って、そんなに黄色くても安心なものだっただろうか。それとも、とっくに使用期限が過ぎているのだろうか。

まあ、今日のところは目薬は差さず、重めの「めばちこ」だろうということにして、幸い体調も悪くないのでそのまま出勤。目やにが凄い以外は平和に一日を過ごしたのだった。

(2003/05/26 注:本当は、目から大量に目やにが出ている時点で、ほぼ間違いなく「結膜炎」です。眼科に直行して下さい)


2003年5月
「長介顔日和」
2003/05/19 (Mon)

コドモが、何処で覚えてきたのか、最近、「得意気な顔」をするようになった。具体的にどんな顔かと言われるとなかなか説明が難しいのだが、まあ、口を閉じて軽くにやりと笑うような感じだろうか。で、別に得意気な顔をされる覚えのないところでするから、ややこしい。例えば、電源のコンセント周辺を徘徊する時など、こちらとしては危険なのでできれば触って欲しくない場所であるので大声で注意したりするのだが、そういう時に限って、一瞬動きを止め、こちらを振り返って、得意気な顔をするのである。

百歩譲って、得意気な顔は、「このコンセント、ええ仕事しまっせ」とかいう意味なのだろうということで許すとして、問題なのは、「得意気な顔」以外にもう一つ覚えてきた、上唇の上に下唇を重ねる、いわゆる「いかりや長介顔」なのである。こっちが真面目に注意してるところで「長介顔」。鼻を垂らして「長介顔」。ミルクを飲んで「長介顔」。寝起きで泣いて「長介顔」。もうとにかく、油断するとすぐ「長介顔」なコドモなのである。このままでは、産まれて初めて喋る言葉が「だめだこりゃ」になりはしないかと不安で仕方がない私である。


2003年5月
「大阪日和」
2003/05/18 (Sun)

相方さんと昼夜交代で大阪へ行く予定だった。私は昼過ぎまでコドモとゴロゴロ過ごし、昼食をコドモが寝ている隙にと、近所のディスカウントショップ・ジャパンで20円台のインスタントラーメン2杯で無理矢理済ませる。そういえば、午前6時頃に起きたコドモはその時点で大量のうんちをしており、その後8時頃にまたうんちをしていて、「なんだ、そのペースは」と怯んでいた私なのであったが、午後1時頃、家を出る前に一応おむつを換えとこうかと思いたって軽い気持ちでおむつを開けると、そこには何故か大量のうんちがあり、もはや笑うことと、必死でおむつを換えることしかできない私なのだった。

余裕を見て出発したおかげで少し早めに大阪へ着いたので、久しぶりに、昔大阪で働いていた頃会社帰りによく立ち寄っていた、梅田のタワーレコードへ。ヘッドホンが2つ着いている試聴機で、コドモと二人で軒並み視聴する。コドモにヘッドホンで大音量の音を聴かせても泣きも笑いもしないのは、実際のライブの音をしょっちゅう聴かされていて、耳が慣れているからだろうか。店内でも比較的おとなしいコドモである。

その後、久しぶりに堂島地下センター、通称「ドーチカ」を通る。以前に新聞だか雑誌だかで「改装しました」という記事を読んだことがあったので、一体何がどう変わったのかと思っていたら、なんてことはない、日曜日の店の閉まり具合と天井の低さと照明のほの暗さは何も変わっていなかったのだった。


2003年5月
「練習日和」
2003/05/17 (Sat)

現在、諸事情によりメンバーが遠距離に住むバンドとなっているN-16の、久しぶりの練習である。今回は、いつも使っていた場所とは違う、京都駅から徒歩数分の場所にある、バレエスタジオや印刷会社の事務所なんかがひしめきあうビルの1階に位置するスタジオを予約していたのだったが、行ってみるといつも行っていた場所と全く同じ匂いで、さすがにチェーン店である。というか、どうやらこの世には「スタジオ臭」なるものが存在しているらしい。まあ、「どことなくカビ臭い」というだけの話であるが。

練習自体が久しぶりで、今日が終わればまたしばらく練習できないのもあって、調子にのって4時間予約していたのだったが、4時間みっちり演奏し続けると、30歳がすぐ手の届くところに転がっているメンバーがゴロゴロしているバンドなだけあって、さすがに体力的に厳しいものがあるのだった。後半、ドラムを叩いている最中に突然右手がふわっとなって感覚のなくなる瞬間が何度かあり、そのたびに「右腕がもげた」と思って、かなり焦ったのだったが、一体私の右腕の中で何が起こっているのだろうか。親切なこびとたちが、私の右腕をもぎ取ろうとしているのだろうか。

支払いの時に、そのスタジオのバイトだか社員だかの女性が私たちのことを知っていて、ちょっと驚いた。なんでも、以前にファンダンゴでライブをした時に見に来ていたとのこと。話を聞いていると、これまで私たちが一緒にライブをした人たちのことを結構知っていたり、長野の松本に友達がいたりと、何かと共通点のある人だった。今度ライブを見に来てくれると言ってくれたのが、社交辞令なのかどうかはよくわからないところである。

京都駅で、赤ちゃん本舗帰りの相方さん+コドモと合流。「銀座ライオン」という何が銀座で何がライオンなのかさっぱりわからないチェーン店で夕飯を食べ散らかしてから帰宅。そういえば私はガーリックステーキライスみたいのを頼んだのだったが、もしかしてあれ、ライオンの肉なのだろうか。だとすれば、銀座ってのはガーリックライスのことなのかもしれない。


2003年5月
「マネーの虎日和」
2003/05/16 (Fri)

金曜の夜は、普段は「もんた」の「ザ・ジャッジ」を見ているのだったが、今日は野球中継だったので、仕方なく、普段はオープニングだけ見て、出演者による独特のどうにもならない間や空気感の気持ち悪さに耐えきれずに見るのを断念してしまう「マネーの虎」を後半少し見ていると、吉田栄作が番組の最後の最後に、もの凄い真面目な顔で一言「ノーマネーでフィニッシュです」と言い切ったのがやけに可笑しかった。しかも、彼がそう呟いた瞬間、それまでスヤスヤと眠りこけていたコドモが突然大泣きしたのだった。思うに、ノーマネーでフィニッシュするのが相当イヤであるか、或いは、吉田栄作を英語にした時、「栄作」の部分が「Eisaku」ではなくて「"A"-Saku」になるのが相当気に入らないのだろうと思う。


2003年5月
「保育日和」
2003/05/15 (Thu)

そういえばこの間、サチコさん(義母)から手に入れたコドモ服たちの中に、「おさかな天国」と書かれた酒井法子の「のりピーマン」の絵のTシャツがあり、おさかな天国とのりピーとの間に一体どんな関係があるのかと思ったら、おさかな天国のイメージキャラクターがいつの間にか「のりピーマン」になっていたのだそうである。きっと会社の偉い人が「のりピー」の「のり」は食べる「海苔」のことであると勘違いしたのだろうと思う。でなければ、そんなことはあり得ない話である。というか、酒井法子は一体いつまで「のりピー」なのだろうか。

相方さんがコドモを迎えに保育所に行くと、会う人会う人みんなに「今日はうんちを3回もした」と言われたのだそうだ。今日の京都はあいにくの雨だったので、きっと散歩が大好きなうちのコドモのことだから、退屈でうんちぐらいしかすることが無かったのではないかと思う。

保育日誌には、コドモの今日の給食やおやつの食べ具合、うんちの回数なんかも書いてあるのだが、何度読み返してみても、給食の欄は「メニュー通り全食」という文字しか書かれておらず、たまに何か書いてあるかと思ったら「メニュー通り+もも缶 全食」などとコドモの食べっぷりがプラスアルファまで書かれており、何をそんなに食べまくっているのかと不思議である。この間なんかは「メニュー通り+ハム 全食」と書かれており、「+ハム」という言葉の響きが妙に可笑しくて笑ったのだった。給食で「+ハム」って言われてもなあ。


2003年5月
「マラカス日和」
2003/05/14 (Wed)

最近はもっぱら「腹這い」という名の「ほふく前進」で驚くほど速く移動し、コンセント周辺や扇風機周辺など、危険なところばかりに攻め込むコドモである。こうなってくるともう目が離せないのであって、危険なものは全て、いわゆる「お子様の手の届かないところ」に置かなければならないのであるが、だからと言ってわざわざ私のパソコンの前にマラカスを置いて、意味無くサンバ気分を盛り上げることもないのではないかと思う。というか、マラカス一つでサンバ気分になれるほど、私の頭は沸いてはいないのである。


2003年5月
「木村日和」
2003/05/13 (Tue)

保育日誌によれば、今日のコドモは「動く絵本を読んで、熱心に何か研究」していたのだそうだ。何をそんなに研究することがあるというのかと思うが、かれこれ数年間コドモばかり見続けている保母さんをして「何か熱心に研究している」と思わせるだけの何かがコドモにあったということであるからして、何かしら研究していたのかもしれないと思うが、まあ、「どうすればおならで空を飛べるか」的な、かなりどうでもよい研究であろうことは想像に難くないと思う。何しろ、私のコドモである。何か考えていそうでいて実は全く何も考えていない、その「考えてなさ加減」は尋常でないはずなのである。

そういえば、コドモのいるひよこ組の担任の保母さんがめでたく結婚されて、先週一週間は新婚旅行で石垣島に行っていたという話を、石垣島ってまた渋いところへ行ったものであるという話を書こうと思いながら結局書かなかったのだったが、新婚さんになって、名字が、何と読めば良いのか全く想像できない、「木へん」にほにゃほにゃしたものをほいほいっと書いたような、暴走族の落書きみたいな漢字の名字になっていて、呼び方がわからず困るのだった。面倒くさいので、名字がわからない場合は、みんな「木村」と呼ぶことにしてしまってはどうだろうかと思う。


2003年5月
「モテ日和」
2003/05/12 (Mon)

本日のコドモは、保育所のみんなで近所の消防署まで散歩に出掛け、中を見学したり、消防士さんと仲良くしたりしたのだそうだ。見学って言ったって、本人は絶対覚えてないと思うのだが。

で、うちのコドモは何故か消防士にモテモテであったらしい。消防士にモテるコドモって何だろう。頭がちょっと燃えてたとか、眉毛がちょっとボヤ騒ぎとか、そういうことなのだろうか。

全然関係ないが、昨日久しぶりに市バスに乗ったら、前の席に座った修学旅行中らしき中学生男子が席に座るなりくもった窓ガラスに立派な「とぐろうんち」を描いていて、それもちょっと目を離した隙に2個も3個も描いていて笑った。バカだ、バカ。いつの時代も変わらない中学生男子のバカさ加減には感動すら覚える私である。


2003年5月
「開店日和」
2003/05/11 (Sun)

サチコさん(義母)は子供服のお店をやっているのだが、今日は午前中、相方さんが店番をすることになっていたのだった。相方さんは10時開店に間に合うようにと早めに出発。私とコドモは、できるだけ保育所のペースでコドモと過ごすべく、8時頃に一緒に朝ご飯を食べ、しばらく遊んでから10時頃におやつを食べる。それでふと気付いたのだが、このペースで12時に昼ご飯を食べてお昼寝して、3時におやつを食べるのだとすれば、それ、どう考えてもほとんど食べてばかりなのではないだろうか。そんな生活してりゃ、そりゃコドモはむちむちになるはずである。というか、オトナでもむちむちになると思う。

10時過ぎに家を出て、市バスに乗って大宮駅まで行く途中、携帯電話がなったので誰かと思ったら、ケイコさん(実母)からだった。今日は母の日であり、実は母の日に実家へ届くようにとネットで花と花瓶を注文しておいたら、わざわざ同じお店で買ったにも関わらずバラバラで届き、しかも備考欄に配達日を指定したにも関わらず、というかそもそも「母の日ギフト」であるにも関わらず何故か金曜日に花だけが届いていて、今日になってやっと花瓶が届いたのだそうだ。ケイコさんが金曜日に花が届いた時点でお礼の電話を相方さんにしていたそうなのであるが、ケイコさん曰く「あの時の返事は、何か様子がおかしかった」のだそうで、今日花瓶が届いてやっと、返事が変だった理由がわかって「ホッとした」のだそうだ。相方さんが一体どんな受け答えをしたのか、非常に気になるところである。

本屋でぶらぶらしたりしながら昼過ぎにお店に着くと、既にサチコさんが店に居て、すっかり話し込んでいたのだった。聞けば、今日は朝から雨で、客が一人も来なかったのだそうである。で、お昼ご飯を食べた後、サチコさんがコドモを連れて近くのスーパーの子供服売り場へ偵察に行き、その間に二人で店番をする。と、一組だけお客さんが来られて、子供の長袖シャツを探し始めた。色違いやサイズ違いを色々見たり聞いたりされ、挙げ句、あるサイズをないと言い切ってみたり、レシートを途中で切ったりと、驚くほどあたふたした雰囲気で応対する。私が客なら、笑うところである。

店中のPOPに「BeBy」という目新しい英単語踊っていて、それはもしかして「Baby」と「BeBe」が混じっているのではないだろうかと思うと可笑しくて仕方がなかったのだったが、聞けば、昔サチコさんが看護婦をしていた時に、「赤ちゃん」という意味でカルテに書いていたのが「BeBy」という単語だったのだそうで、それはつまり、ドイツ語なのではないだろうかという話である。とはいえ、店先で不用意にカルテ用語とか使われても、困ると思う。



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