May 01-10,2003

2003年5月
「引っ越し日和」
2003/05/10 (Sat)

会社のとある部署が別のビルに引っ越しするため、その手伝いで出勤。とはいえ、部署がら私の仕事は荷物運びではなく、主にパソコン関係の配線、設置、設定変更など、地味ながらもじわじわ効いてくる、ボディブローのような、わさび茶漬けのような、自分以外の客が全員じいさんばあさんである満員電車のような作業である。

休憩に入った部屋にあった何処からどう見てもただの冷蔵庫である物体に「薬品保冷庫」と書かれた紙が張ってあり、ものは言い様であるなあと激しく痛感する。というか、どんな薬品が入っているのか知らないが、薬品なんてなものが、そんな、残りもので一品作れそうな入れ物に入っていて果たして大丈夫なものなのだろうか。


2003年5月
「歯医者日和」
2003/05/09 (Fri)

今日は珍しく仕事が一日バタバタと立て続けに入ってしまい、なんとなく疲れてしまったのだったが、帰ってからも歯医者に行かなければならず、休みたい気持ちを堪えて泣く泣く歯医者へ行くと、どうやら今日から私の担当が若い青年に変わったのだそうだ。この歯医者、実は4月から爆発的に医者の数が増えており、しかもほとんどが医師免許取りたてな若さ溢れる印象の青年ばかりで、でもみんな結構ぼーっと立ってたり、頼まれたことを全然こなせてなかったりしていて不安に思っていたのだったが、そんな彼らがとうとう担当を持つことになったということであるらしい。で、その先生が何やら丁寧に説明してくれるのだったが、どうもその丁寧さ加減が不自然で、その不自然さたるや、説明を受けているこっちが恥ずかしく思うほどであるから、相当なものである。

結局、前歯にあるちょっとした虫歯を削って埋めるということになったのだが、これがまた削っても削っても虫歯がなくならないらしく、先輩の先生を呼んできて、二人して私の虫歯をのぞき込み、小声でひそひそ話をされた。挙げ句、二人で口を揃えて「虫歯が思っていた以上に大きくて・・・」などと説明とも言い訳とも付かない話を始めるのだった。本当に、虫歯を削るたびに毎回毎回飽きもせずに同じセリフを言われ続けている私であるのだが、もしかして、「あいつには『虫歯が思った以上に大きくて』と言え」とか、カルテに書いてあるのだろうか。


2003年5月
「カンロ日和」
2003/05/08 (Thu)

週明けからずっと続いていた鼻水が収まり始め、代わりにのどが痛く咳が出るようになってきたので、出勤途中、もの凄い豪雨の中コンビニに無理矢理立ち寄り、カンロの「健康梅のど飴」を袋買いする。色々とのど飴を舐めてきたが、私はこの「梅のど飴」が、一番おいしいと思うのである。まあ、のど飴に味を求めてはいけないのかもしれないが、とにかく、この「カンロ健康梅のど飴」は、抜群においしい。何なら、のどが痛くなくても舐めたいくらいであるが、そんなことをすると、いざ喉が痛くなった時に全く利かなくなりそうであるので、普段はあえて舐めずにいる私なのである。そして、舐めたいのに舐められない、この「キャンディチラリズム」が溜まらないのである。私は今、相当バカなことを書いているのだが、これも全ては喉の痛みのせいであるので、勘弁してもらいたい。

今ふと原材料名をチェックしたら、何やら「モナスカス色素」とやらが入っているのだそうだ。「モナスカス色素」。なんだかよくわからないが、そんな昔の数学者みたいな名前のものをわざわざ入れるぐらいであるからして、きっと相当のどに良い色素なのだろうと思う。


2003年5月
「蒸し日和」
2003/05/07 (Wed)

びっくりするほど蒸し暑い中仕事をしていて、たまたま台車が必要になったので自分の部署の隣にある書庫に取りに入ったら、誰もいないのにエアコンがガンガンに利いていて、やたらめったら涼しくて笑った。何故自分がいる部屋よりも断然涼しいのか疑問である。確かにホストコンピュータのある部屋なんかはガンガンに冷房をかけてあったりするのだが、それは明らかに熱を持つと動作が不安定になるからであって、決して書庫に置いてある何も書いてない封筒が熱を持って爆発したり、何かの帳簿に書いてある金額が微妙に不安定になったり、何ページ目かを開けた状態で固まったりはしないと思うのだが、そういうことでもないのだろうか。


2003年5月
「カエル日和」
2003/05/06 (Tue)

一応、会社から帰る時には、携帯から自宅に電話をするようにしている私である。車で家の近くまで送ってもらうこともしばしばあり、その場合は家の近くから電話を入れることになるので話している間に家に着くこともあり、そうなってくるともはや電話なのかインターホンなのかわかったものではないのだが、それでも一応は電話を入れることにしている私なのである。

そんなわけで今日も今日とて帰りに自宅に電話を入れると、電話に出た相方さんが、相手が私であることがわかっていたかのような口ぶりで電話の応対をするので笑った。まあ確かに電話の相手は私たったのだが、もし電話したのが私じゃなくて、一度間違えて留守電にメッセージを入れていて、それ以来ちょくちょく間違い電話をかけてくる、「西山くんに、工程表を提出するようしきりにお願いするオトコ」だったらどうするのか。と思い、そのことを指摘してみると、曰く、私からの電話は「オーラでわかる」のだそうだ。夫婦って、そういうものなのだろうか。

それならいっそ、着信するとメロディとか振動とかではなくてオーラが出るというのはどうかと考えたのだった。つまり、「着オーラ」である。電話がかかってくると、胸ポケットからオーラが溢れ出てきたりするわけである。もの凄く欲しいな、それ。


2003年5月
「コドモ日和」
2003/05/05 (Mon)

コドモの日。とんでもない真夏日である。昼頃に実家から京都市内の我が家へ、車で、アキオさんの運転で移動。途中、道路の電光掲示板が「32度」という温度を表示していたような気がしたものの、それは、タマちゃんか何かの体温だったということにしておいて欲しいほどの暑さである。アザラシの体温って、32度ぐらいなのかな。全く知らないうえに、興味もないが。

コドモの日なので、コドモの話でも書く。いや、うちのコドモじゃなくて、一般的なコドモの話である。

この間、たまたまNHK教育を付けていた時にやっていたコドモの教育についての番組で、偉い教授みたいな人が、2歳ぐらいのコドモたちが公園で遊んでいる映像を見ながら話をしていたのだったが、曰く、2歳ぐらいのコドモというのは、ちょうど友達と一緒にみんなで遊びたくなり始める盛りなのだそうだ。で、そのくせ、まだ集団行動はできない時期で、みんながみんな自己中心的な行動を取るのだそうだ。その結果どうなるかというと、何かにつけて「順番を守る」だの「仲良く遊ぶ」だの「自分が少し我慢する」といった意識のないコドモたちは、ひたすら「自分だけが楽しもう」と必死になり、「一度乗った車のおもちゃからは絶対降りない」とか、「すべり台では、俺だけがすべる」とかいったポリシーを貫き通すわけなのである。で、喧嘩になる。泣き出すコドモも出てくるという話である。

その話を聞いて、なんというか、コドモって怖いよなあとか思ったのだった。というか、それ、ほとんどヤクザである。そう考えると、子育てってのもなかなかに侮れないものがあるよなあと思うのである。そして、保育所ってのは絶対、ちょっとした戦場だよなあと思う私である。きっと先生たちも、穏やかな笑顔の裏で、日々、タマ取ったり取られたりの世界を生きているのだろうなあと思う。


2003年5月
「法事日和」
2003/05/04 (Sun)

実家にて、法事。祖母の十三回忌である。祖母が亡くなったのは確か私が高二の時で、確かその日私は、当時世の中に認知され始めていた「たま」の「夕暮れ時のさびしさに」とかいう曲を聴いて祖母を偲んでいたのではなかったかと思う。

祖父母の兄弟が大変に多く、めでたいことにご健在であり、そして、こういう法事などの時には仲良く夫婦で来られる場合も多く、従って我が家はかなりの人出で賑わっていたのだった。ついでに、田舎なのもあって、とっても微妙な血の繋がりの近所の人とかも来ていたりして、田舎の法事はなかなかに難しいものである。実は法事のたびにそういう人が何人か来ていて、そのたびに色んな酔っ払いのおじさんに口頭で思いつきの説明を受けるのだったが、何ぶん口頭であり、お酒もたっぷり入っているので聞き手としては全く理解できず、ただただおっさんがくさかったという記憶だけで終わってしまうことがほとんどだったのだが、今日初めてきちんと説明を受けた、その血縁関係の詳しい話は、なんとも言えず面白いものなのだった。というか、微妙どころか結構濃い血縁である。生々しいので書かないが、田舎ってやっぱり怖いなあとか思った次第である。

ちなみに、コドモは終始ご機嫌かつ穏やかにマルマルコロコロとしていて、出席していた親戚だか誰だかに「朝青龍に似ている」などと、ほめられているようでいながらバカにされているようでもある、とっても微妙なことを言われていたのだった。まあ確かに、おかゆを食べた後にバナナをまるまる1本かぶりつく、その食いっぷりからして、コドモの中には何かしら朝青龍的な要素があるのかもしれない。そんな要素、なくても全然困らないのだが。


2003年5月
「嫌がらせ日和」
2003/05/03 (Sat)

今日は朝から会社の人数名と、人生で二度目となる釣りへと出掛ける予定だったのだが、昨日からの熱と頭痛のためキャンセルしようと思い、待ち合わせ時間が午前6時20分という眠たい時間だったので、まあ6時ぐらいになったら電話しようなどと考えていると、5時半頃になって突然、待ち合わせしている後輩から電話がかかってきた。何事かと思って電話を取り「どうしたの?」と聞くと、明らかに寝ぼけた声で「もう、着きました?」などと言うのだった。そんなもの、例え元気でも着いてるわけない時間だし、こちとら、熱に頭痛で体も弱りきっており、機嫌も最悪である。思わず「はあ?」とか言いそうになるのをぐっと堪えて、「え? 今、何時?」と聞き返してやると、今度は爽やかな声で「5時20分ですけど」などと抜かしている。内心「何をとぼけたことを」と鼻で笑って心で泣きながら、「待ち合わせって、6時20分じゃなかったっけ?」と言うと、「え? あ!? いや、すいません!」と焦って電話を切ろうとする後輩なのだった。で、「あ、いや、まあ、それはそれとして・・・」と、私が今日体調を崩して行けない旨を説明してから電話を切るには切ったが、本当にちゃんと伝わるのかどうか、かなり不安である。というか、何処からどういう意図で電話してきたのか、さっぱり不明であるのだが、もしかして、新手の嫌がらせなのだろうか。


2003年5月
「スポドリ日和」
2003/05/02 (Fri)

仕事中、午前から午後にかけてゆっくりと、でも確実に体調が悪くなってきて、具体的に言えば、頭が痛くて熱っぽい感じになってきていて、どうにもこうにもつらくなってきたので、定時過ぎにとっとと帰る。で、帰って寝たら治るかと思ったら、治るどころか悪化の一途を辿り、一晩中熱と頭痛にうなされてしまった。本当は今晩、相方さんとコドモは私の実家に帰る予定だったのだが、急遽それを取りやめ、私が熱にうなされながら言う「スポーツドリンク買ってきて」とか、「布団の下のシーツが波打ってるのをなおして」、或いは「おかゆ作って」、「やっぱり作らないで」、「赤上げないで、白下げて」などといったワガママ三昧を聞いてくれていたのだった。まあ、コドモはお構いなしに抱っこを求めてきたり鼻水を擦りつけてきたりして、どうにも看病してくれている感じではなかったのだが。

しかし、こういう時のスポーツドリンクの飲みやすさといったら、尋常ではない。一応我が家には「ブリタ」という浄水ポットがあり、これで作った水は水道水に比べて断然飲みやすく、普段は平気で飲んだり氷にしたりコーヒー作ったりしているのだが、この時ばかりは全く喉を通らなかったのだった。なんだか、一口飲んで「こんな水飲めるか」とか思ってコップを置いてしまったのである。で、買ってきてもらった「ポカリ」だの「ダカラ」だのは、平気でおいしくゴキュゴキュ飲めるのよな。スポーツドリンクって、一体何がどうなってて、結局のところ何が入っているのだろうか。ちょっと怖くすらある私である。


2003年5月
「老夫婦日和」
2003/05/01 (Thu)

この間、四条烏丸近辺を相方さんと歩いていた時に、微妙に正装気味の老夫婦に道を尋ねられたのだった。

以前に書いたが、私と相方さんは歩いているとよく道を尋ねられたり、何かの宗教の人に「3分間だけ祈らせて下さい」とお願いされたり、若い男女に「近くにラブホテルはありませんか?」と尋ねられたりと、何かと話しかけられやすい二人ではあったのだが、ここ最近は子連れであることもあってか、あまり話しかけられない平和な日々を過ごしていたのであって、道を尋ねられたのは随分と久しぶりのことである。

で、その、何を喋っているのかイマイチはっきりしないお爺さんが、腰がほぼ直角に曲がっているお婆さんの鞄をちゃんと持ってあげていて、何というか、いくつになっても紳士的振る舞いは格好いいものであるなあと微笑ましく思ったのだった。思わず、「それで、滑舌がよくて道に迷わなければもっと格好いいぞ、じいさん」と、心の中で声援を送った私である。



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