March 11-20,2003

2003年3月
「病院日和」
2003/03/20 (Thu)

午前3時半頃、相方さんが腹痛を訴える。来た。コドモの風邪だ。吐き下しの例の奴が、また相方さんに飛び火してしまった。もともとコドモは相変わらず体調が悪く、相方さんが今日もう一度この間行った総合病院に連れて行く予定だったのだが、そうもいかない状況になりつつあり、幸い私は未だ元気で風邪の予兆もほぼない状態であったので、今日は会社を休むことにして、コドモと相方さんを病院に連れて行くことにしたのだった。

8時半過ぎに病院に到着。診察の予約をし、私は相方さんと別れてコドモと小児科のある辺りのソファへ移動。小児科のドアの横に熊や猿の切り絵が貼ってあるのはいいのだが、動物たちの膝や頬の部分がほんのり赤く色付けされており、思うに、どうもちょっと熱っぽくて風邪っぽい感じにしたいらしいのだが、その赤い部分はどう見ても擦り傷にしか見えず、どう見ても動物虐待な、ヒリヒリと痛々しい感じで、無駄に切ない気持ちにさせられる。

結構早めに来たので、早めに診てもらえたのだった。一応これまでの経緯などを説明しつつ、「脱水が心配ですねえ」と体重を量るが何故か月曜日から全く変わっておらず、しかもコドモは少し元気で、全くこのコドモは、何というか、病院に来ると来ただけで元気になるというのは一体どういうつもりなのかと思う。念のためにと点滴を打ってもらうが、今回は先生の奮闘及ばず腕にさすのを断念し、無理矢理足に点滴の針をさしていたので足をばたばたできず、しかもきっと腕よりも痛むのだろう、相当につらそうに泣きじゃくっていたのだった。不意に看護師さんから連絡があり、「今、奥さんも2階で点滴を打っておられるそうです」とのこと。母子ともに点滴。相変わらず点滴を打ったことのない私としては、羨ましい限りである。

帰りに処方箋をもらい、病院の目と鼻の先にある薬局へ行く。薬局というのにほぼ初めて行ったのだが、今、薬局というのはもの凄いことになっているのだった。まず、入るとすぐに綺麗なお姉さんがやってきて、親切に応対してくれる。入り口近くにはコーヒーやお茶の出る機械が置いてあり、無料で飲めることになっている。薬ができると、これまた綺麗なお姉さんがわざわざ座っているソファの所まで薬を持ってきてくれる。それも、来ていきなり薬を渡して「はい、おしまい」なんてな愛想の悪いことでは全然なく、さりげなく今回の病気の話やコドモの話などをしてから薬の説明に入るという気の遣いようである。しかも、頼めばタクシーも呼んでくれるという。何というか、至れり尽くせりである。私の中の勝手な薬局のイメージというのは、もっとこう、店内に風邪薬とか胃腸薬とかが散乱している一番奥で、うだつの上がらない感じの、息の臭そうな白衣のおっさんがぼけっとテレビを見ているような、理科準備室みたいな感じのものだったのだが、それとは全く異なるものだったので、かなり驚いたのだった。

家に帰り、3人でゴロゴロ過ごす。コドモをお座りさせて放っておいたら、気が付けば紙おむつと戯れていた。この間は、気が付いたらおむつを捨てている蓋付きバケツの蓋を取ってその辺に放り投げていたらしいのだが、おむつと戯れるのがそんなに楽しいのだろうか。


2003年3月
「石鹸日和」
2003/03/19 (Wed)

今の会社に勤めるようになって早2年が経つのだが、未だに、トイレに置いてある石鹸の、その泡立ちの悪さがどうにも解せない私である。一応毎日少しずつ小さくなっていっており、不意に新しいのに変わっていたりもするので、みんなに使われているのは使われているようなのだが、新しいのに変わったところでちっとも泡立ちやしないのは一体どういうことなのだろうか。あれ、もしかして石鹸じゃなくて、ただの白い石なのだろうか。


2003年3月
「点滴日和」
2003/03/17 (Mon)

相方さんが、コドモをくだんの小児科へ連れて行く。体重を量ってみると土曜日に比べて7%減だそうで、これは脱水症状に近いものであるのだそうだ。困りつつ、土曜日に言われていた、飲ませたものと出したもののメモを見てもらうと、「こんなに水分取ってたら、普通は脱水症状にはならないんだけどねえ」と不思議がられた。というか、コドモは実は随分と元気で、先生が色々説明してくれている間中ずっと「ここ何処やねん」だの「お前誰やねん」だのとうるさいので、先生も「元気そうなんだけどねえ」と不思議顔である。一応念のためにと、とある総合病院へ点滴を受けに行くように紹介状を渡され、診察終了。

とある総合病院へ移動し、これでもかというぐらいに待たされた後、紹介状に書いてある内容をいちいち診察され、ようやくコドモに点滴。点滴の管や針を固定するためのベルトを見て「なんじゃこりゃあ」とうるさいコドモであるので、医者に「元気そうなんだけどなあ」と、やっぱり言われる。

実は私は生まれてこのかた点滴を打ってもらったことがなく、ほのかに点滴を打つことに憧れを抱いているのだが、よもやコドモに私より早く点滴デビューをされるとは思っておらず、軽くショックである。

赤ちゃんの点滴をどうやってするのかを、研修医たちがぞろぞろと見学。その間何故か相方さんは部屋から追い出されて外で待たされていたのだそうだが、普通、親ってこういう時、一緒にいるものじゃないのだろうか。

その後、何やら色々と検査。その結果、風邪に関する部分は特に問題ないのだそうだが、肝臓の何かの数値がとんでもなく高く、再検査しましょうという話になった。肝臓がおかしいって言われてもなあ。まだ若いのになあ。


2003年3月
「赤ちゃん風邪日和」
2003/03/16 (Sun)

コドモの風邪が治らず、発熱、下痢、嘔吐が続く。特に下痢がひどい。顔色悪く、弱々しい仔猫のような声で泣きながら、仔羊のように小刻みに震えながら、振り絞るように青緑色の液状なうんちを1時間に1回というハイぺ一スで絞り出す様は、見ているこっちもつらくなるほどである。夕方、ようやく熱は収まったものの下痢と嘔吐はちっとも治らず、母乳を少しずつ飲ませては、ひんひん泣くコドモをあやす。

適度に水分を与えてやらないと脱水症状を起こしてしまって大変なのだが、一気に飲ませすぎると逆に吐いてしまうので、なかなかに加減が難しい。基本的にうちのコドモは与えられれば与えられただけ飲むよいこなので、尚更、飲んでる最中に「はい、そこまで」と哺乳瓶を取り上げるのは、例えばもの凄く空腹の状態で目の前にあるご飯を食べようと思ったら米粒が全部小麦粉に変わってしまったぐらいに納得いかない状況なのだろうと思うと、なんとも切ない気持ちになるのだった。


2003年3月
「診察日和」
2003/03/15 (Sat)

午前6時、コドモが嘔吐。しばらく間隔を空けて3回、最後のは胃液まで吐いていた。ついでに相方さんも風邪で熱っぽいということで、比較的近くにある、近所で評判の小児科へ私がコドモを連れて行ったのだった。

8時半受付開始で診療は9時からなのだが、8時40分頃に着いたというのにもう8番目とかで、なかなかに人気の病院である。というか、みんな診察券出すだけ出して一旦家に帰っているらしい。仕方なく二人寂しく待合用のソファでNHK教育を見ながらひたすら待つことにする。

「おかあさんといっしょ」、「むしまるQゴールド」、「うたっておどろんぱ」を立て続けに見る。最近コドモの影響でこれらの番組をよく見るのだが、見れば見るほどに可笑しいことが色々あり、それらのことを書きたくて仕方がないのだが、書き始めると長くなるので又の機会にするが、一つだけ。「おかあさんといっしょ」の「体操のお兄さん」は、実はもうコドモが二人もいるので、本当は「体操のお父さん」なのだそうである。「体操のお父さん」って、何となく「白の全身タイツ」なイメージで、ちょっと嫌だなあと思う。

で、診察の順番が回ってきたのだが、ちょうどその頃コドモに眠気が襲ってきており、ひどく不機嫌なのだった。診察中、服を脱がせれては泣きじゃくり、聴診器をあてられては泣きじゃくり、おむつを脱がされては泣きじゃくり、何か金属のへらみたいので喉の奥をうりゃってやられて「おえっ」ってなっては泣きじゃくり、可哀想なコドモである。診察の結果は、恐らく前回と同じ「吐き下しの風邪」だろうということで、下痢止めの粉薬と吐き気止めの坐薬をもらう。後、今から月曜の朝までに、飲んだものその量、及び出した便と尿の色や形、量などをメモして、月曜日に持ってきて下さいとのこと。なかなか面倒な宿題である。

家に帰り、ひたすらひんひんと猫のように泣きながら下痢であり続けるコドモと、今度は前回のように共倒れしないように気を付けながら、ゴロゴロ過ごす。コドモの下痢で部屋がほのかに臭いが、こればっかりは仕方がないので諦める日々である。


2003年3月
「さわやか日和」
2003/03/14 (Fri)

昨日食べた豆乳湯豆腐による吐く息のニンニク臭さをかき消すため、朝、コンビニで「さわやか吐息」を買う。薬じゃないので今イチどれぐらい食べれば効果があるのかがわからず、さしあたり、一気食いしてみる。胃袋が妙に爽やかになる。

この間の社員旅行で一緒だったおじさんの中に、その昔片岡鶴太郎が物真似していた、チビでメガネでハゲな人が「ピッピッピヨコちゃんじゃ」とか言いながらはしゃぎ廻る往年の漫才師の、そのはしゃぎ廻る方にそっくりな人がいたのだったが、その漫才師の名前が全く思い出せないまま1週間が過ぎてしまった。まあ、別にそのまま10年過ぎようが100年過ぎようが全く困らないぐらいのどうでもよさではある。


2003年3月
「バースデイパーティ日和」
2003/03/13 (Thu)

相方さんの友人のバースデイパーティを、何故か我が家でする。パーティと言っても参加者はその友人とうちの家族と、後もう一人いるだけなので、「パーティ」というよりは「集まり」みたいな、会社で言えば「会議」じゃなくて「打ち合わせ」、場合によっては「上司からの呼び出し」ぐらいのレベルのパーティである。

メイン料理は「豆乳湯豆腐なべ」。普通っぽく湯豆腐を作って、最後にだしが沸騰するかしないかぐらいの絶妙なタイミングで豆乳を加えて出来上がりみたいな感じのものである。誕生日じゃない方の友人がレシピ読み読み作ってくれたのだったが、そもそもこの料理にした理由が「コドモも食べられそうだから」というメインの友人そっちのけな理由で、そうなってくると、このパーティ、もう誰が主役かわからない。

レシピの写真とかなり色合いの異なる、やけに鶏肉が肉肉した感じに出来上がった鍋をつつきつつ夕食。味は比較的あっさりしていて、豆乳がまろやかで、なんとも豆づくしでヘルシーな感じ。薬味としてネギ、ニンニク、豆板醤を入れて食べると、これがなかなかおいしいのだった。

具材をある程度食べ尽くした後に中華麺を入れて食べると、これが不思議と天下一品のこってりラーメンを思わせる味で、「ははーん、天一、豆乳入れてるな」とか思う。

ちなみに、結局コドモは寝くさっていて食べなかったのだったが、そうなると、全く、何が何だかわからないパーティである。

相方さんの友人に「旦那さん」とか呼ばれて、ひるむ。セールスマンとかお店の人に「旦那さん」だの「ご主人」だの「お父さん」だの「ひげもじゃ」だの「お客さん、鼻毛出てますよ」だの言われるのには、慣れないまでも諦めはついてきているのだが、どうも友人となると、どうにも免疫がないので困るのである。まあ、確かに旦那なんだけどな。なんか、恥ずかしいのよな。全く知らない友人ならまだしも、何度も会ってるしな。

それで思い出したが、4月からコドモを保育所に預けることが正式に決まり、それ用に書類を書いて提出しなければならないのだったが、その項目の中に「ご家庭での、父、母の呼び方」を書く欄があった。たぶん「お父さん、お母さん」とか「パパ、ママ」とか書くのだろうと思うのだが、実はこれまで書いたことなかったと思うのだが、我が家ではお互いのことを「旦那、奥さん」と呼んでいるのである。で、この書類のこの欄に「旦那」だの「奥さん」だのと書くと、おそらく保母さんがうちのコドモに向かって「奥さんに送ってもらったね」とか、「今日は旦那が迎えに来てくれたねえ」とか言うことになるのだろうと思うと、ちょっと言わせてみたいような気もするのだったが、これ、「旦那、奥さん」ならまだしも、例えば「ダーリン、サマンサ」((c)奥様は魔女)とか書いといたら、一体どうなるのだろうかとか考えると、是非書いておきたい気持ちにもなるから不思議である。さて、どうしたものか。


2003年3月
「ラッコ日和」
2003/03/12 (Wed)

朝から何となく頭痛だったのが、仕事中に徐々に激しくなってきて、昼休みには結構な痛みになっていた。でも体はだるくもなく、熱っぽくもなくて全然元気なので、定時まできっちり働く。

ココアを飲むと若干痛みが軽くなるので、カップ式の自販機でココアを買って飲んでいると、通りがかった事務の女性に「この辺、なんか、シャボン玉の匂いしません?」とか言われたが、私は、シャボン玉なんか飲まないオトコである。というか、シャボン玉を飲むオトコなど、いない。

家に帰り、暖かい部屋でご飯を食べ、風邪薬を飲み、コドモをお腹に乗せたままコドモと一緒になってラッコのように一眠りすると、一気に頭痛が治っていて驚いた。ラッコ治療法、発見。


2003年3月
「チュー吉再来日和」
2003/03/11 (Tue)

チュー吉、来なくてもいいのに、再来。ここしばらくすっかり利用されていなかった相方さんのアトリエに、コドモ用の粉ミルクを袋の状態で放置しておいたら、これが見事にかじられていたのだった。こんなに油絵のシンナー臭漂う部屋で粉ミルクの匂いを嗅ぎ分けるというのも凄い話である。

相方さんはしばらくショックで放心状態だったのだが、差し当たり「さんま御殿」を見て和み、その後アトリエの掃除を慣行することにしたのだった。

で、問題はコドモである。自分の手の届く範囲にあるものは全てその手に掴んでやろうとし、掴んだら掴んだで今度は必ず「どれどれ、わしが毒見してやろう」とばかりにぺろぺろ舐めてかかるコドモなだけに、チュー吉は危険な存在なのである。とりあえず、家の中に食べ物を置きっぱなさないことを再び固く肝に銘じる。でも、チュー吉って、石鹸とかでもかじるからなあ。



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