March 01-10,2003

2003年3月
「奇跡日和」
2003/03/10 (Mon)

おすぎが「戦場のピアニスト」を紹介する時に多用する「奇跡」という言葉のイントネーションが、いつも微妙に腑に落ちない私である。もちろん私だってもう充分いいオトナであるので、話の流れからして「奇跡」という意味なのだろうということは理解できるのだが、それでもやっぱり、おすぎが言う「鼻血」にも似たイントネーションの「奇跡」は、私には何度聞いても「軌跡」に思えてならないのだが、世間的にはどうなのだろうか。「奇跡」だったらもっと、「き」にアクセントがあって然るべきではないのだろうか。

で、たまたまテレビを一緒に見ていた相方さんに、「『奇跡』のイントネーション、おかしいよな」と同意を求めると、「うん、確かになあ」と納得してくれたのだったが、私が「そうよなあ、おすぎの言う『きせき』って、会社の『軌跡』とかの『きせき』よなあ」と言うと、「え? 何それ? というか、おすぎの『きせき』って、『おかしな石』じゃないの?」と言い出し、何の話かと思えば、それはつまり「奇石」のことなのだそうだ。「おかしな石」って何だよ、と一瞬思ったのだが、それはつまり「武器屋の主人がおかしな石を拾ってきたぞ」とかいう例のあれで、何てこたあない、ただのドラクエなのだった。その、中学生男子のような発想力に驚く。


2003年3月
「ゾンビ日和」
2003/03/09 (Sun)

旅行帰りなので、夕方にスーパーに行った以外は、一日家で溜まっているビデオを見たりしてのんびりと過ごす。

旅行中ずっとバスの中で抱っこしていたせいか、コドモがしきりに抱っこをせがんでくるようになった。せがんでくるというのはどういうことかというと、両腕を上げてこっちへ倒れ掛かってくるということであり、その仕草は一歩間違えばゾンビであるが、言われてみれば、何故ゾンビはわざわざ両腕を前に出して「前へならえ」の姿勢で近付いてくるのだろうかと疑問である。普通に歩けよ、ゾンビ。


2003年3月
「出石日和」
2003/03/08 (Sat)

旅行三日目。朝食をホテルのバイキングで食べる。久しぶりの朝食バイキングで、豪雨の天橋立をバックに、朝から美味しいパーンを食べ狂う。クロワッサンがおいしい。コドモにも、豆腐とじゃこをぐちゃぐちゃに混ぜたものを、ぐちゃぐちゃと食べさせ、喉もかわくだろうと、コーンポタージュにトマトジュースを加えた、よくわからないが健康に良いかもしれないスープを、コドモ用スプーンを部屋に置いてきたのでコーヒー用のスプーンで飲ませる。途中で面倒になってきたので、無理矢理コップで直接飲ませてみたら、ぼっとぼっとこぼしながらも意外と飲めたので驚く。何というか、食に関して貪欲であると思う。

ちなみに、最近我が家では、もっぱら「パン」のことを「パーン」とのばして言うことにしているのだが、これは、木村祐一の「写術」の中にある一節の影響である。なんとなく、お金持ちっぽい、それでいてバカっぽい響きが楽しいのである。

少し部屋でゴロゴロした後、早めにロビーまで行き、お土産物屋を物色する。お土産物屋で思い出したが、今回コドモを旅行に連れてきて初めてわかったことがあった。よく、ホテルや旅館、或いは高速道路のサービスエリアなどで、その観光地とは全く何の関係もなさげな「でんでん太鼓」だの、「けん玉」だの、「ガオレンジャー」だののおもちゃが売られているのを見かけたことがあると思うが、私はこれまでそういうのを見るにつけ、「果たして、わざわざこんな所まできて、こんなわかりやすいおもちゃを買う人がいるのだろうか」と疑問に感じていたのだったが、コドモを連れてツアーに参加して初めて気付いたのは、つまりコドモは、とにかく新しいおもちゃが大好きであるということなのだった。さっきまでぐずぐず泣き散らかしていたコドモが、見たことない新しいおもちゃを渡されると、これが結構おとなしくなるのである。旅行先でコドモがどうにも泣きやまなくて困った時、親が売店でおもちゃを買い漁り、何とかご機嫌を伺おうという話である。なるほどなあと感心する。

バスに乗り込み、時間通り出発。まずは「天橋立」へ。小学生の頃に行ったことがあったような、なかったような曖昧な記憶しかないのだが、今回行ってみてその理由がわかった。天橋立というのは、海の中を松の木の生えた公園が、まるで橋のようにまっすぐに伸びているという所で、ケーブルで少し山の中腹くらいまで登って眺めるとなんとも奇妙な景色で面白かったりするのであるが、何しろ、松の木の橋である。地味。地味だ。とにかく地味である。松の木の隙間から巨大ロボットが出てきでもすれば鮮明に記憶に残っていたのだろうが、まあ、それならそれで記憶はともかく命が危ない気もするが、とにかく当然そんなこともなく、ひたすら地味なのである。小学生の頃にこんな地味な観光スポットを見せられても、せいぜい「行った、ような気がする」という事実を記憶にとどめておくことしかできないのは当然ではないだろうか。

地味な天橋立を早々に切り上げ、本日の昼食どころである出石へ。出石の皿そばで有名な出石町は元々が出石城の城下町で、今ではその名残から城下町風の町並みにそば屋がひしめき合い、近くには神社やお寺もちらほらあって、なかなかに面白い所なのだった。あいにく天気は小雨がふったりやんだりする、ナイスなぐずつきっぷりだったのだが、それでも結構な人がにぎわっていて、人気のスポットであるらしい。確かに、私と相方さんだけなら余裕で1日遊べる印象を受けた。良い所である。

皿そばは、小皿にそばが盛られたのが5枚で一人前というもので、だしと一緒に薬味と山芋と生卵が付いてくるのだったが、これ、どう考えても5枚ではお腹一杯にならないのである。結局相方さんと二人、10枚づつ食べる。そう考えると、結構値が張るのよな。おいしいんだけど。

出石のマスコットキャラクターというのがいて、名を「そば丸」というらしいのだが、頭が皿そばになっており、どう見ても「ただいまパーマ中」で可笑しいのだった。

パーマ中

昼食後少しゆっくりして、京都駅へ戻り、無事旅行終了。最後、私たちがコドモの抱っこヒモを付けたりなんだかんだともたもたしている間にみんな結構あっさり帰ってしまっていて、バスから降りたらもうガイドさんと添乗員さんしかおらず、驚いた。引き際早すぎ。まあ、だからこそ、社員旅行なのに全く気を使うことなく、こんなにのんびりできたのだろうとも思う。


2003年3月
「砂丘日和」
2003/03/07 (Fri)

旅行二日目。予想通り、午前五時過ぎにコドモに起こされる。で、まあうだうだと過ごし、朝食を食べる。意外と朝食はまともな感じで、ちょっと安心する。その後、部屋に戻ってコドモにレトルトの離乳食「鶏五目飯」を必死に食べさせ、時間ギリギリにバスに乗り込む。

バスはひとまず、近くのお菓子工場へ。何だか社員旅行というよりは社会見学のような様相を呈してきつつ、工場でお菓子を作っている所などを見るが、ほとんどのラインが動いておらず、何ともいたたまれない気持ちになる。さらっと流し見て、適当にお土産のお菓子をつまみ食いしつつバスへ戻る。次の目的地は、鳥取二十世紀梨記念館。私と相方さんが新婚ちやほやの時に行った、散々おいしそうな梨の展示を見せつけておきながら、梨を食べさせてくれる店が近くに全くないという嫌がらせとしか思えない事実が平気でまかり通っている、恐ろしい所である。一応展示をパラパラ見つつ過ごす。コドモはもちろん初めて来たのだったが、特においしそうな匂いがするわけでもない世界中の梨の剥製など見せた所で、「色んな梨があるねえ」ぐらいの説明しかすることができず、途方に暮れる。

その後、小雨のそぼ降る中を、バスで鳥取砂丘へ移動。砂丘入り口目前のレストランで、せいろで貝や肉、餃子などを蒸した昼食を食べる。別に砂丘とは関係ないような気がしつつ、これが結構良い感じにおいしかったのだったが、何故か店内のメニューを見渡してもそんな料理はのっておらず、果たして今食べたものは一体何だったのだろうかと気になるのだった。

残念ながら外は、砂丘観光どころの話ではなく強風吹き荒れる雨で、何ともイマイチである。それでもせっかくだからと、長靴を借り、添乗員さんに傘を借り、砂丘へ赴く。

強風により、傘が折れる。

こんな日本もある

凄いぞ、砂丘。凄い凄いとは聞いていたが、やっぱり凄い景色である。何とも言えず面白いのは確かであるが、こんなくそ寒い日に来るものではないのも確か。「又、晴れた日に絶対来てやる、ついでに、絶対きれいになってやる」と心に誓いつつ、無理矢理景色を写真に収めて、早々に引き上げる。砂丘滞在時間、およそ3分。

くそ寒いと言いつつ、売店で梨ソフトを買って食べる。甘さ控えめで結構リアルな梨味。酸っぱくておいしかったのだったが、そう言えばこの頃から、コドモがおじさんたちにモテ始めたのだった。私と全く別の所で働いている人とかで、私ですら今回初めて会ったような人たちに、私よりも断然話しかけられ、抱かれて、楽しそうなコドモである。私なんか、会社の人に抱っこされたことなんてないのにな。今に始まったことではないが、何だか、親父キラーなコドモである。

今度は、播磨屋という老舗のおかきメーカーの工場へ。またまた工場見学だったのだが、この工場がさながら日本庭園のような凝った作りで、工場内も昨日のホテルよりもよっぽど綺麗で、制服も作務衣風のお洒落なもので、何とも良い感じなのだった。試食で食べた「のりおかき」が余りにもおいしかったので、お土産に買い込む。ついでに、「助次郎」という名前のせんべいも、ネーミングが気に入ったので買っておく。

バスは天橋立近くの、昨日とは打って変わって高級な感じのホテルへ到着。それもそのはず、本日は夕食が自腹なのである。思うに、昨日のホテルの夕食込みの宿泊代と、今日の夕食抜きの宿泊代が同じぐらいなのではないだろうか。或いは、今日の方が高いくらいかもしれない。それでも、大浴場にはサウナも露天風呂もあって、しかも露天風呂は温泉で、とても気持ちよいのだった。

夕食は、コドモが頃合いよく眠ってくれたので、ホテルの地下にある居酒屋へ。頼むもの頼むものいちいち美味しくて、久しぶりに軽いお酒を飲んだのもあって調子に乗ってほいほい頼んでいると、会計時にほいほいとびっくりする金額を請求された。しまった、油断した。


2003年3月
「忠臣蔵日和」
2003/03/06 (Thu)

二泊三日で温泉旅行へと出掛ける。一応、社員旅行である。私の会社の場合、毎月の積立金が小学生の小遣いばりに少ないため、社員旅行は数年に一度しか行われないのであるが、その分、行き先は海外から国内まで様々なコースの中から自由に選択でき、しかも追加料金を払えば家族も一緒に参加できるということになっており、今回は相方さんとコドモを連れて行くことにしたのだった。

集合場所に着くと、参加人数は十数名というかなりの少人数で、その上ほぼ全員がロマンスグレーなおっさんなのだった。気が付けば、女性は相方さん一人である。しかもおっさんたちに話を聞いてみれば、28歳の息子がいるだの、去年の12月に孫が生まれただの言い出し、おっさんというか、ほとんどおじいちゃんの域である。一人、小学生のコドモを連れてきている人もいたりして、端から見れば何の集まりだかさっぱりわからない感じの集団になっていたのではないだろうか。おかげでバスは余裕たっぷりで、コドモ連れのために荷物が普段の3倍にふくれあがっていた私たちにとっては、かなり有り難い話なのだった。

バスは、ひとまず忠臣蔵の赤穂浪士でお馴染みの赤穂市へ。海の見える展望レストランとやらで冷え切った昼食を食べ、大石内蔵助がらみの大石神社とやらを見学。四十七士全員分の石像が建てられていたりして、忠臣蔵に興味のある人には垂涎モノなのだったが、参加者全員が大して、というか全く興味がなかったため、出発時間を大幅に繰り上げて、とっととホテルへと向かったのだった。

この日宿泊した、寂れに寂れた某温泉郷にある某ホテルが、余りにも余りなひどさだった。入るなり、廊下の至る所にストーブがおいてあり、床は心なしか、かなり汚い。部屋に入ると、そのテレビの小ささに驚く。頑張れば、画面が両手で隠れるほどに小さい。10畳の和室にそれはないだろうというくらいの小ささで、思わず「テレビぐらい買えよ」という言葉が口をついて出そうになる。

肝心のお風呂も、大浴場と露天風呂が全く違う所にあり、露天風呂は一旦玄関を出てからでないと行けない場所にあるので、かなり面倒なのだった。だからといって大浴場の方へ行くと、こっちはこっちで、どういうわけかお湯がぬるすぎで、浴場を開けてもちっとも湯気が出ておらず、寒々としているのだった。

夕食は、一応カニとしゃぶしゃぶの食べ放題ということだったのだが、カニはズワイガニと言うには畏れ多いほどに小さいもので、しゃぶしゃぶに至っては「霜降り」ならぬ「霜付き」の冷凍で、ちっとも食欲のそそられないものたちなのだった。もっと言えば、相方さんのお吸い物にはしっかり髪の毛が入っていたそうである。今時、お吸い物に髪の毛が入ってるなんて、相当にダメ人間が揃っているホテルなのだろうかと思う。

というわけで、相方さんと二人、こんな寂れた温泉、二度と来るかと心に誓う夜なのだった。


2003年3月
「魔法陣グルグル日和」
2003/03/05 (Wed)

たぶんこのまま我が家にあっても、我が家の蔵書から考えて、きっと今後誰も読むことはないだろうなあと思われる、「ガンガンコミックス」という名の少年臭漂うガンガンしたコミックスから出ている「魔法陣グルグル」という漫画の単行本が、何故だか11巻だけ、困った感じで家に転がっていたのだった。

 2〜3日前に、相方さんがコドモに、この単行本のカバーをおもちゃ代わりに渡してみたのだったが、これを何故だかコドモがいたく気に入ったらしく、他のおもちゃで遊んでいる時でも決して離そうとはしなくなってしまったのだった。ここ数日ひっきりなしに、そのカバーを握り倒して握り倒して、右から左に持ち替えてまた握り倒して、とか延々やっているのでもういい加減くちゃくちゃになっていたりするのであるが、他のどんなおもちゃたちよりも食い付きが良いので、オトナとしてはもうただ笑って見守るほか手がない状態である。

眠くなってきて目をこする時でも持ったままで、おかげで紙切れが顔の所にふがふが当たって邪魔そうなのだが、それでも絶対離そうとはしないのが凄いと思う。というか「手、はなしゃいいのに」と思う。

そう言えば不思議なことに、コドモは絵の書いてある表側ではなく、何も書いていない真っ白な裏側をまじまじと見つめて楽しげなのであるが、何か、コドモにしか見えない絵でも描いてあるのだろうかとか考える。あれか、魔法陣か。魔法陣がグルグルのガンガンで、もうウハウハなのか。


2003年3月
「オクラ日和」
2003/03/04 (Tue)

そういえば、昨日はひな祭りだったのだが、いつもお昼に会社で食べている仕出し屋のお弁当の、おかずの一品が「ひなあられ」で、ふと「給食」という二文字が頭をよぎり、何となくバカにされているような気がしたのだった。そんな遊び心はいらないから、もう少しまともなおかずを一品増やして欲しいと、切実に思う。

この間は、お弁当に「オクラ」が入っていたのだが、一口噛んでみて、そのあまりの固さに、驚きを通り越して笑ってしまったのだった。どう考えても「木の枝」を何か上手いこと味付けしたとしか思えない固さである。犬か。わしら、犬か。


2003年3月
「うまうま日和」
2003/03/03 (Mon)

すっかり紹介するのを忘れてしまっていたのだが、実は、我が家に、さらに新しい仲間が増えていたのだった。

もはや写真を撮るのも面倒なので出さないことにするが、簡単に説明すれば、ゴム製のミッフィー人形である。で、もらった人が誰かもイマイチ覚えていないのだが、確か、以前にミッフィーのぬいぐるみをくれた人と同じ人であったはずなので、その人形に名前を付けるのもままならない状態で過ごしていたのだった。先日、コドモにこのミッフィーを渡してみた所、コドモはミッフィーの首の辺りを両手でしっかと握りしめ、何の迷いもなくミッフィーの耳の部分を、まるでチーカマでも食べるかのようにハムハムとくわえ、美味しそうに舐め始めたので、この人形の名前を「みみうまちゃん」とすることに決定する。

その後、耳ばかりではなく、お尻の部分を舐めることも多くなってきたため、名前を「うまうまちゃん」に変更。ゴムなので、オトナが舐めるとたぶん「おえぇっ」と、えづきたくなること請け合いな気がするのだが、何故にコドモは何でも舐めていつでも平気であるのだろうかと不思議でならないが、だからといって別に羨ましくはない私である。


2003年3月
「おっさん日和」
2003/03/02 (Sun)

昨日遠出したので、今日は家でおとなしくしていようと思っていたのだが、そんな日に限ってもの凄く良い天気で、結局陽気につられて、京都駅でマンガを買ったり、電気屋に行ったりするためという何とも不健康な目的で散歩に出掛ける。すると、街には、ワカメちゃん仕様のミニスカートをはいて黒い下着を見せながら歩く「いとうせいこう」似のおっさんや、お腹に異常なまでにモノを詰めているのか、それとも本当にそんなお腹なのか判別の付かないほどにお腹が膨らんだおっさんなど、春の陽気につられて危険なおっさんたちもはびこりはじめており、やけに恐ろしい京の街なのだった。「観光客、減るなあ」と、漠然と思う。


2003年3月
「赤ちゃん日和」
2003/03/01 (Sat)

大学の頃に同じサークルだった友人の女性が1月2日という大層おめでたい日にコドモを産んだので、相方さんとコドモと、あとニッタさんと一緒に冷やかしに行く。

生後2ヶ月弱のそのコドモは、かなりのくっきり二重で、頭が小さく、エンドウ豆のように丸くて、とても知的な印象を受けたのだった。でも聞けば、同じ2ヶ月くらいのコドモの中ではかなり大きい方なのだそうだ。私なんかは、どうしても我が子と比べてしまうので、全然小さく見えてしまうのであるが。何しろ我が子は、8ヶ月にして今にも歩き出しそうなほどに大きく、というかきっと本当はもうスタスタ歩けて、何なら自転車に乗ってスーパーでスリッパでも買ってきそうな勢いなのである。

試しに赤ちゃんを少し抱かせてもらったら、これがまた結構な軽さで、それでも、そういえば昔、うちのコドモもこれぐらいの重さの頃があったなあという感じの重さで、なんとも懐かしく感じたのだった。半年で軽く倍以上になっているのだから当たり前と言えば当たり前なのだが、改めて比べてみるとその違いに愕然とする。そして、忍者が毎日少しづつ伸びていく木の芽を来る日も来る日も飛び越え続けて、最終的にはもの凄い高さまで飛べるようになるという修行の話を思い出した。

そういえばこの間、相方さんの腕に心なしか筋肉のようなものがつき始めていて驚いたのだった。コドモを持つ親の腕は、否応無しに鍛えられるシステムであるらしい。

おとなしく小動物のような振る舞いで可愛らしく過ごしている赤ちゃんを尻目に、うちのコドモは、我が家にあるのと同じミッフィーのジムで、アーアーウーウー言いながら手足をばたつかせ、色んな所に頭を突っ込んでは元に戻れなくなってもがきながら、友人に「ジムって、こんなに遊べるものなんだ」と、感心とも呆れともつかない感想を述べさせるほどに、ひたすらに遊び狂っていたのだった。マイペースなオトコである。



back
top

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送