February 21-28,2003

2003年2月
「黒田節日和」
2003/02/28 (Fri)

この間、相方さんの実家に帰った時、私たちが眠る部屋に、「黒田節」と書かれた、ちょんまげの武士が何やら槍を突いたりしておかしなポーズを取っている人形が、もはやもの置きと化した学習机の本棚の部分に飾られていて、というか置き捨てられていて、いかんともしがたい気持ちになったのだった。どうして親というものは、こういうどうでもいいような地方のおみやげ人形たちを、何処からか収集してきては無駄に飾ってみたりするのだろうか。

それで思い出したが、私の実家はもっとひどいのだった。何というか、無節操である。

まず、木彫りの熊がいる。それはまあいい。なにしろ木彫りの熊なんてものは、北海道とは絶対無縁だろうなあという人の家にも当たり前のようにあるのだから、それはまあいい。問題は、その熊の視線の先にある、やけにこまっしゃくれた陶製のフランス人形である。フランス人形と言うと聞こえは良いが、実際にはフランス人かどうかわからない、ただの、ブルー系のドレスに身を包んだ茶髪の貴婦人の人形である。

誰何だ、お前は。

そして、木彫りの熊と貴婦人というマッチングも問題だが、その貴婦人が手にぶらさげている、どう見てもわらでできた紐が、さらに問題なのである。その紐の先にはペンダントのようなものがあり、そこには、ばっちり日本語でこう書かれている。

「輪島朝市」

そんなドレスアップした格好で「輪島朝市」に行くやつはいないだろうと思う。


2003年2月
「サイン日和」
2003/02/27 (Thu)

これまで台所でコドモを寝かすのに使っていた、ゆらゆら揺れて椅子にもなるベッドがあるのだが、最近これにコドモを寝かせると、コドモのガタイが大きすぎるからなのか見るからに窮屈そうで、どうもちっともリラックスできないらしくて相当嫌がるので、フローリングの一部に無理矢理カーペットを敷き、一応その周りを、枕や座布団をつなげたふっかりふかふかしたもので囲い、そこにコドモをおすわりさせておいてオトナたちは普通にご飯を食べることにした。いわば、コドモ部屋である。一畳にも満たないスペースで事足りるというのが素晴らしいが、一体いつまで、「そこはお前の部屋だ」というバカな話がまかり通るだろうかと思う。部屋っていうか、台所だしな。

先日紹介した、ベイビーサインの「ミルク」を、今日、コドモがかすかに真似してやっていたので、ほめてつかわしたのだった。ものの本によれば、初めてサインをした時にはべた褒めしてやらないと、「コドモが真似していいのかどうだかわからない」のだそうだ。ちなみに「ミルク」のサインは「牛の乳を搾るように右手をぎゅっぎゅっと握る」というものなので、もしかしたらコドモは、ただ何となく握ってみていただけなのかもしれず、或いは握力を鍛えていただけなのかもしれず、もしそうだとすれば、何を褒められているのかわからなくて戸惑っていたかもしれないと思う。


2003年2月
「歯医者日和」
2003/02/26 (Wed)

例によって歯医者に行き、例によって麻酔を打たれ、例によって景気よく奥歯をガリガリと削られるのだった。最初は麻酔が効いていて痛みもさほど感じず、それでも歯を削られる感覚というのは、こんなに毎月のようにガリガリ削られていてもちっとも慣れないもので、全く気持ちの良いものではないわけなのだったが、それが今回は、時間が経つにつれ、脳をトンカチで叩くような鈍い痛みが徐々に増してきてしまったのだった。麻酔が切れ始めたからなのか、それとも神経のすぐ近くを削っているからなのかわからないが、まあ何にしても削るのはすぐに終わるだろうと思い、本当は「痛かったら手を挙げるように」と言われていたのだが我慢していると、しばらくして、「痛み、大丈夫ですか?」と尋ねられたのだった。思わず「ほんのちょっとだけ痛いです」と答えると、「痛かったら、ちゃんと言って下さいねっ」と軽く怒られてしまった。で、先生は麻酔を追加でバシバシ打ち、さらに削るのだった。もう、どんどん削る。まるで鰹節のように削る。で、痛いので私が手を挙げると、さらに麻酔を打って、また削って、というのを何度も繰り返す。30分近くやっていただろうか。ようやく削り終わり、型を取って、仮埋めして、終了。終わる時には私も先生も憔悴しきっていたのだった。

先生に「今日の虫歯は、かなり深い所まで進行していたので、かなり削りました」というような説明を受けたのだったが、どうも私の場合、毎回深い所まで削られているような気がしてならないのは一体どういうことなのだろうか。こんなに歯医者に通っているというのに、そんなに私の歯は、虫歯にとって居心地の良い歯なのだろうか。


2003年2月
「還暦祝い日和」
2003/02/23 (Sun)

今日は、マコトさん(義父)の還暦祝いということで、マコトさん、サチコさん、兄さん夫婦、姉さんの総勢7人、コドモを入れれば8人で、京都駅のプラッツ近鉄にある結構な和食料理の店で、結構な料理を食べたのだった。こんなに「ごちそう」という言葉が似合う料理があっただろうかというくらいの「ごちそう」で、出てくる料理がどれもこれも、最後のわらびもちに至るまで、もれなくおいしいのだった。それも、どれもそんなに大した量ではないのだが、最終的にはお腹がいっぱいになっていて、ちょうど全部を食べ切れるくらいの絶妙なペースで料理が出てきていたのだということに気付いて、感心することしきりである。マコトさんは普段結構な少食の人なのだが、今回ばかりは全部きちんと食べ切っていて、やはりそれなりの値段を出しただけはあるなあと思ったのだった。まあ、全部食べた後少しお腹が苦しかったのか、コドモのように横になっていたのだったが。

還暦祝いに、とマコトさん用に頼んだ焼きウニをお裾分けしてもらったのだが、これがまた、もの凄くおいしい。バイオハザードに出てくる「工場でゾンビになった人の日記」で言えば、「うに、うま」である。良いなあ、うに。

ちなみにコドモは、私たちが食べている時間の半分くらいを、還暦祝いのプレゼントが入っていたビニール袋をぶんぶん振り回すことに費やしていたのだった。相当楽しいらしく、たまに喜びの声、というか、奇声を発していた。元気である。


2003年2月
「おばあ日和」
2003/02/22 (Sat)

相方さんの体調も回復し、今日は相方さんの実家へ帰り、ゴロゴロする。近所のおばちゃん、というかおばあちゃんがやってきて、やけにテンション高くコドモをあやすので、コドモが何だか嫌になって泣き叫んでいた。この間も、泊まりに来ていたモールスのサカイさんにぼんやり抱っこされても全然おとなしくて、むしろ気持ちよさげだったりしたのだが、これがN-16のアヤコさんにあやされながら抱っこされると、途端にただひたすら泣き叫び始めて困ったのだった。どうもうちのコドモは、見慣れない女性に「かわいいかわいい」と言われながらあやされるのは嫌いであるらしいと思う。見慣れない男性に「サカイのおじちゃんですよー」などと言われながら抱かれるのは平気なのだが。

で、相方さんの両親と、私の両親とで、コドモをあやすスタンスが違うことに気が付いた。簡単に説明すれば、私の親たちはコドモをコドモとして可愛がっているのに対して、相方さんの親たち、とりわけ、サチコさんは、コドモと対等に遊ぼうとするのである。

例えばおもちゃをコドモに見せる。コドモが右手を伸ばして取ろうとすると、ケイコさんがおもちゃをちょっと近づけてあげるのに対して、サチコさんはおもちゃを遠ざけ、「ほら、今度は左手を出しなさいよ」と、両腕を動かさせようとするである。或いは抱っこして欲しいと泣いたとする。ケイコさんがすかさず愛情たっぷりに抱いてやるのに対して、サチコさんは「抱いてほしかったら、ほれ、両手を前に出しなさいな」と、手厳しい。遊んでいるというか、リハビリしているような感じもほのかに漂ってしまうのは、サチコさんが元看護婦だからなのかもしれない。

どちらの方が良いということではなく、むしろどちらにも良い点はあると思う。だいいち、私はケイコさんに育てられ、相方さんはサチコさんに育てられたわけなのだから、別にどっちにしても大して問題があるわけではないのである。ただ、サチコさんの「コドモをコドモとして扱いすぎない」という姿勢は、私が常々気を付けていることであって、特に赤ちゃん言葉というのがあまり好きではないので使わないように気を付けていたりするのだが、そういった意味で、サチコさんの徹底ぶりにはちょっと驚きで、感心した次第である。

ちなみにケイコさんは真逆で、コドモに赤ちゃん言葉をよく使うので困っている。とりわけ、お風呂のことを「ちゃいちゃい」というので困っている。何だ、「ちゃいちゃい」って。何処だ、「ちゃいちゃい」。ケイコさんは、コドモに向かって「ちゃいちゃい行こうか」とよく口にするのだが、それを聞く度に、「私なら、そんな得体の知れない所には絶対に行かない」と強く思ってしまうのである。


2003年2月
「おすわり日和」
2003/02/21 (Fri)

今日は仕事の当番で、夜10時まで電話番や社内の見廻りをしなければならなかったので適当にこなして家に帰ると、相方さんが頭痛で寝こんでいた。風邪ではないようなので、相方さんにはゆっくり寝てもらうことにして、私は、コドモが眠くなるまで一緒に遊ぶことにしたのだった。

最近のコドモは、すっかり「おすわり」がお気に入りである。以前は「おすわり」ができる時間なんて一瞬で、というか、「おすわり」というよりは、親がちょっと手を離してみたけど、たまたまこけなかったというだけの、「てばなし(親が)」みたいな感じのものに過ぎなかったのが、徐々にその時間が延びてきて、今ではすっかり長時間でも自分で自分を支えることができるようになったコドモは、自分の前におもちゃを並べて、いちいちそれらを振り回してご満悦なのである。

ただ、油断すると、明らかに手の届かない位置にある遠くのおもちゃ、といっても、まあ大抵はスーパーの袋、ティッシュ、広告といった「燃えるゴミ」ばかりなのだが、そういったものを取ろうと必死になり、後先考えずに手を伸ばしては、挙句コロンと転がってしまうので注意が必要なのである。とはいえ、その、コロンと転ぶ様が可愛かったりもするので、親としては困るのであるが。

ちなみに、眠くなると体に力が入らなくなるのか、突然全く「おすわり」もままならなくなり、すぐにコロコロと転げてしまうという「おすわれない」状態になって泣き出すコドモである。当たり前だが、まだまだコドモだなあと思う。



back
top

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送