February 11-20,2003

2003年2月
「おっさんツアー日和」
2003/02/16 (Sun) - 20 (Thu)

アメリカからやってきたUSインディ最大のカリスマおやじ・Calvin Johnsonと、彼が主宰するレーベル「K」からリリースしているLittle Wings・Kyle、The Microphones・Philが、我が家をすっかり「京都の我が家」として御用達にしているモールス御一行様とともにやってくる手筈になっているのだった。とはいえ、夕方に東京でイベントをやってから車でこっちに向かうので、京都に着くのは夜も更けきった深夜になるだろうとのこと。私たちは、いつも通りにぼんやりした休日を過ごし、いつも通りに夕飯も食べ、お風呂も入って、もうすっかり就寝状態で電話を待つことにする。相方さんとコドモは、ある程度の準備をするだけしてもらって、先に休んでおいてもらう。

深夜1時過ぎ、ようやく京都に到着。軽く挨拶などして家の中に案内すると、布団を用意して待っていたのもあって、外人勢3人はあっという間に布団に潜り込み眠りこけてしまったのだった。日本人御一行様は、今回は布団が余裕で足りなかったのと、一応寝袋持参だということだったので、漫画が山ほど置いてある、アキオさんが家に来る度に「本を同じ部屋にばかり置いてたら、床が抜けるぞ」とうるさく言うことでお馴染みの、我が家では珍しい絨毯の部屋で、寝袋をコロコロ転がして眠ってもらうようにお願いする。家に居ながらにして、まるで野宿であるが、まあ、エアコンは付くので良しとしてもらう。というか、そんなことはさておき、早くも漫画喫茶状態に陥っていたようである。

翌日は難波でライブをして大阪に宿泊。さらに翌日、十三ファンダンゴにてライブを行ったおっさん御一行は、その後、食事を経て深夜に我が家へ到着したのだった。月曜から同行しているN-16アヤコさんとも、私が風邪で練習を2回もパスしたおかげで本当に久しぶりの再会となったのだったが、本当に少しだけ軽く話をして、私は明日も仕事なので寝ることにするが、例によってみんな結構お疲れのご様子で、すんなりと床に着いたり、着かなかったり、どん兵衛を食べたり、マンガを読んだりしていたのだった。モールスのウッチーさんが風邪でダウン気味で、明日できれば病院に行きたいということなので、さしあたり、近所の地図を見ながら私も行ったことのない開業医さんの場所と名前を教えてみる。良い病院だったら良いなあと思う。

以前にboyracerが泊まった時にも思ったのだが、何か、白人って独特の匂いがするのよな。白人が泊まっていた布団とか部屋って、何か、匂いで分かるのである。何というか、「主食は肉です」みたいな匂い。あれは一体、何なんだろうか。でも、確かCalvinって、ベジタリアンじゃなかったか。匂いと主食は関係ないのだろうかと不思議に思う。

翌日、仕事を定時で切り上げ、ダッシュで帰宅。着替えて、相方さんとコドモと3人でタクシーに乗り込み、磔磔へ向かう。おっさん御一行様の京都・磔磔でのライブなのである。道中、タクシーの中で相方さんに、今日のおっさんたちの様子を聞く。モールスのサカイさんとCalvinが相方さんのアトリエを覗いたり、LittleWings・Kyleがギターを弾きながら曲を作っているのを、コドモがおとなしくじっと見ていたりしたのだそうだ。なんだかほのぼのしていて良いなあと思う。

そういえば、moools・ウッチーさんは私が教えてみた医者に行って、しっかり点滴を打ってもらい、ベッドで少し寝たおかげで、ずいぶん楽になったそうである。教えてみるものだなあと思う。

会場に着くと、磔磔にこんなに人が入っているのは久しぶりに見るなあというくらいの人。おっさんとはいえ、さすがにUSインディのカリスマである。

最初は、Little Wings・Kyleの弾き語り。非常に朴訥とした感じの何とも味わい深い歌声と、リラックスした演奏が印象的だった。何というか、何故外人、というか白人は、ああも失敗を気にせず堂々と弾き語りをこなすのだろうかと思う。

続いてmoools。たった4曲とはいえ、完全に客の心を掴んで離さなかったMCであり、演奏であり、物真似だった。何度見ても飽きないし、というか見る度に微妙にアレンジが違うし、本当に格好いいバンドである。

The Microphones・Phil。何曲か弾き語りをした後、最後はmoools、Kyle、Calvinまで加わってセッション風の演奏を行ったのだったが、これがかなり気持ち良かった。moools・サカイさんのピアノ、Calvinのピアニカの音がなかなかに美しく印象的だった。

4バンド目はOKミュージックボールという、私は初めて見るバンドなのだったが、ボーカルにねっとり絡みつくギターが何とも言えない味を醸し出す、非常にリラックスした雰囲気の大人なバンドで、なかなか面白かったのだった。

しかしまあ、やはりCalvin Johnsonのライブは圧巻だった。基本的にやはり弾き語りであるのだが、齢40のおっさんが、中尾彬ばりの低音で歌う歌う。それはもう、びっくりするくらいに低くて良い声で、結構可愛らしい曲を、歌いまくるのである。しかも、曲によってはギターも弾かずにアカペラで、歌いながら踊る踊る。それも、曲と合ってるんだか合ってないんだか微妙な感じの、何とも言えない奇妙な踊りである。例えが良いか悪いかわからないが、「江頭2:50」ばりの腕や体の動きを、曲のテンポに合わせてゆっくりと踊るのである。客席からは軽く笑いが巻き起こっていたり、一気にみんながカメラを構えだしたりしたのだったが、当の本人は別に笑わせようと思ってやっているわけでもないというのが素晴らしいと思う。ごくごく平熱で、歌いながらあの踊りが出てくるというのは、やっぱり何処かしら社長然としたものを感じざるを得ない私である。

ライブ終了後、しばらく記念撮影をしたり友人と話をしたりして、私と相方さんとコドモは一足先に帰宅。コドモをお風呂にいれ、自分もお風呂に入り、布団をひいて、おっさんたちが帰ってくるのを寝て待つことにしたのだった。

結局、Calvinたちが客と飲みに行っていたそうで、帰ってきたのは結構深夜な感じの時間だった。帰ってきてしばらくは、moools・サカイさんの友人がCalvinにインタビューしたりしていたので、その間に私は、明日もう会えないかもしれないのでmoools・アリさんなど数人と軽く話をしたりする。その後外人たちはやっぱり結構あっさり床に着き、日本人数名は近所の焼き鳥屋へ出掛け、私は明日も仕事なので先に眠らせてもらったのだった。しばらく布団の中で、珍しく、ライブの余韻に浸っていたりもした私である。

相方さんに聞いた話によれば、翌朝無事におっさんたちは松本へ向けて旅立っていったとのこと。風邪で一家全滅していた時にはどうなることかと思っていたが、何とか無事に過ごせたようで、一安心である。

相方さんが、日本語が全く通じないCalvinに彼のCDとペンを持って行って「キャルビン、CDにサイン書いて」と日本語丸出しで話しかけたら、意外とあっさり「OK,OK」とサラサラ書いてくれたらしく、それをたまたま近くで歯を磨きながら聞いていた7e.p.のサイトウさんが、「え? 今ので通じたの?」と驚いていたのだそうだ。そりゃまあ、驚くよな。


2003年2月
「ロバ日和」
2003/02/15 (Sat)

「ロバにのっていこう」という曲がある。ほとんど誰も知らないかもしれないが、NHK教育の「むしまるQゴールド」という、虫や生き物に関する三択クイズをやってみたり、突然赤ちゃんゾウが「世界征服でちゅ」と言ってみたりする番組があり、その中で流れている、一応コドモ向けの歌がこれである。これ、ちょっと凄い曲なのである。

ロバと一緒に旅する男の歌である。歌でありながら、曲調は、ちょっとポップな感じと言えば良いだろうか。よく言えば、トミーフェブラリーみたいな感じである。その時点で、ちょっと可笑しい雰囲気が漂っていると言っても過言ではない。

冒頭、「ロバにのっていこう どこまでも一緒に行こう ロバの乳を飲んでいこう チーズを食べていこう」というようなことを歌うこの曲は、その後、「ロバにのっていこう ロバが疲れたら、ひいて一緒に歩いていこう」と続く。そこまでは良い。問題は、その後である。ロバと仲良く一緒に旅しようという趣旨で始まったこの曲の、まだ始まったばかりであるはずの一番のサビの部分で、唐突に、曲は早くも「ロバがもしもダメで動けなくなっても」と哀しく歌い上げる局面を迎えてしまうのである。ロバ死ぬの、早すぎ。

それだけではない。もっと問題なのは、実はこの後の二番である。ロバが死んでしまったことによって一人ぼっちになった男は、突然「お前からもらった肉を食べていこう お前からもらった涙を飲んでいこう」などと歌い始めるのである。ちょっと待て。いくら空腹だからって、よりにもよって仲良く一緒に旅していたロバの、その肉を食べるというのは如何なものか。百歩譲って、肉はまだいい。涙って何だ。死にそうになってるロバの涙を、お前は水筒に大事に溜め込んでいたということなのか。

最終的にこの曲は、ロバと旅していた男も結局のたれ死んでしまい、天国でロバと再会して、雲にのって一緒に旅をし続けるという、夢があるんだかないんだかわからないエンディングを迎えるに至るのであるが、果たしてこの曲は、一体コドモに何を教えようとしているのだろうか。「家畜の肉を無駄にするな」ということなのだろうか。それとも、「仲間の肉を食べると、ばちが当たる」ということなのだろうか。

個人的には、この曲が売れたら面白いなあと思う反面、それはそれで世の中荒んでるよなあとも思うのだった。


2003年2月
「ハウステンボス日和」
2003/02/14 (Fri)

社員旅行でハウステンボスっぽい所へ行き、別の部署の課長が「吊り橋を見に行こう」というので同じ部署の先輩と3人で行ったのだったが、その途中、娘さんが松方弘樹の嫁さんになったという資産家の家の敷地内に入ったらしく、「この森も家の庭だ」とか、「あの山の向こうに家がある」とかいう話をしながら歩いたり、なぜだかわからないが物凄い浅瀬の川をスーツのままジャボジャボと歩いたりした挙句、吊り橋に向かっていたはずなのに、たどり着いたところはバス停で、それも、雰囲気的にはタイのバスターミナルで、ハウステンボスっぽさは影も形も見当たらないのだった。

それでもしばらくしてバスが来たのだが、他の二人は乗ったのに、私の前にいつのまにか並んでいる全然知らない青年がちっともバスに乗ろうとせず、おかげで私はバスに乗り遅れてしまった。イライラしてバス亭を離れ、近くの物売りを散策しているうちに、どうにもここは京都の四条にある阪急なのではないかという気がしてきて、それなら地下から電車に乗ろうと慌ててエレベータに乗り込み、他の人が乗ってくるのをお構いなしに「閉」を押しつづけて、申し訳ないと思いながらも、おばあちゃんをガシンガシン、ドアで挟み続けている私なのだった。

という夢を、病気で寝込んでいる間に見た。起きたら、物凄く寝汗をかいていた。いったい、どの部分で汗をかいたのかは不明であるが、たぶん、松方弘樹の嫁さんのくだりでないことだけは確かだろうと思う。


2003年2月
「サウナ日和」
2003/02/13 (Thu)

私は熱が出ると布団に入っているだけでサウナにでも行ったかのように汗をかくオトコであり、汗をかくことによって熱が下がるという仕組みなわけなのだが、今回ひいた風邪は、布団に入って汗をかくというその行為自体が嫌で嫌で仕方がなかったほどに病んでいたのだった。今となってはそれが何故かはちっともわからないのだが、とにかく、布団に入って汗をかくくらいならカーペットの上をゴロゴロ転がっている方がましだとばかりに、カーペットの上を無闇にゴロゴロと転がっていたように記憶している。たぶん、私の中のダンゴ虫の部分がそうさせたのだろうと思う。

で、嫌だ嫌だと思っているうちになんとか生きて朝を迎える。迎えたら今度は、元気は元気だが下痢は治らないコドモが、それでもやっぱり元気に起き出したので、かなり気だるい感じであやす。「あやす」というよりは「必死で、静かにしていてくれるよう、お願いする」といった感じで過ごしていると、今となっては何時頃だったのかさっぱりわからないのだが、昨日の電話を受けてケイコさんが来てくれたのだった。心なしかケイコさんの背中から後光が差していたように感じたのは言うまでもあるまい。

昨日の夜からお茶しか飲んでいない状態で、朝にこっそりコドモ用のタマゴボーロを食べたりしていたのだが、それでもお腹が気持ち悪いので食欲はないまま過ごしていると、ケイコさんが、大根とじゃがいもを炊いたり、おかゆを作ったりしてくれていた。いつもなら30秒で食べる量を、30分かけてネチネチと食べる。おいしいのに食が進まず、悔しい思いをする。

夕方近くになり、ようやく体調も回復の兆しを見せ始めた頃、実は我が家の結構近くで働いているアキオさんが仕事帰りに車で家に寄ってくれ、結局そのままみんなで実家に帰ることにしたのだった。ほとんど現実逃避である。まあ、その方が格段に楽だったのだから仕方がない。実家で、のんびり静養する。


2003年2月
「リアルゴールド日和」
2003/02/12 (Wed)

朝、いつものように出勤したものの、どうもおなかの調子がおかしいような気がしたので、とりあえずリアルゴールドを飲むが、変わらずおかしいままで、しかもどんどん調子が悪くなっていって吐き気を催すようにまでなってしまった。お昼の弁当を半分以上残し、総務から正露丸をもらって飲んだのだが、これがまた逆効果で、あの匂いが一層吐き気を促進するのだった。仕方がないのでまたリアルゴールドでも飲もうと思って自販機を押したら、間違ってカルピスを買ってしまった。一口飲んで、吐き気3割増となり、これはもう早退しかないと決断する。そして、そうか、昨日のコドモのが移ったのだと認識する。

家に帰って、とりあえず吐く。相方さんが、コドモをいつもの小児科に連れていったら、やっぱり「風邪」だと診断されたそうだ。間違いなく、私もそれを移されたのだろう。布団で寝ている間にもどんどん体が熱くなり、お腹がグルグルなり、頭がガンガン痛くなってあっという間に酷い状態に陥ってしまった。

夜になると、気がつけば相方さんまでお腹が痛いと言い始め、結局親子3人でダウン。この調子だと間違いなく明日はピンチである。何がピンチかって、今一番元気なのはコドモなのである。苦しむ親を尻目にコドモ一人元気に泣き叫ばれるのだけは勘弁してほしいと、急遽明日はケイコさんに面倒を見てもらうように電話でお願いしたのだった。

深夜、相方さんと二人、腹痛、頭痛、発熱にのた打ち回りながら、コドモを必死で、本当に必死で、鬼気迫る感じであやしながら、長い夜を乗り越える。親父の一番長い夜である。ただし、相方さん曰く「出産の時よりは全然楽」だそうで、どうも女性というのは、こんな激しい病気なんかになりながらでもコドモを育てられるように出来ているらしいのである。生命の神秘、おそるべし。


2003年2月
「救急日和」
2003/02/11 (Tue)

10日深夜、寝ていたコドモが突然寝ながら真っ白な液体を口から吐き出したので驚く。しかも可哀想なことに、数十分おきに3度ほど続けて吐き続けているのだった。最後の吐きに至っては胃液のようなものを吐き出した感じで、コドモは酷く衰弱した元気のなさで観音様のように微笑みかけており、逆に不気味である。しばらくたってから試しに母乳を与えてみるが、飲んだはしからすぐ吐いてしまった。これはもう病院へ行こう、行って元気になろうということになったのが、ちょうど午前5時30分頃の話である。どうせ今日は祝日で普通の病院では診てもらえないので、今すぐ診てもらえそうな、救急外来の受付がある某病院へ電話をしてから、タクシーで向かったのだった。

待合室で待っている間に、切羽詰って医者に「早よ、診たってくれや」と関西弁丸出しで怒鳴り散らして凄んでいるオンナがいて何事かと思ったら、どうもある女性が酔っ払ってガラスの破片を飲み込んだのだそうで、その場に居合わせたのかどうかしらないが、やいのやいのと怒鳴り散らすそのオンナが倒れている女性を連れてきたということであるらしい。オンナは、医者が「今、移動用のベッドを持ってきますから」とか言ってるのを遮って「そんなんええから、早よ診たってくれや」と、とにかく「早よ診たってくれや」の一点張り。一生分の「早よ診たってくれや」を、この数分間で使い果たしていたのだった。で、散々怒鳴り散らした後で医者に「じゃあ、彼女の名前はわからないんですね」と言われると、そこは何故か冷静に「アケミや」と答え、医者たちがそれを聞いて慌てて一斉に「アケミさ〜ん」と呼びかけ始めたのが可笑しかった。「アケミさ〜ん」って。

しばらく待ってようやくコドモを診てくれた女性の若い医者は、びっくりするくらいおっとりした口調で、あくびをかみ殺しながら応対をしてくれ、結局「とりあえず浣腸だけしておきましょう」という、まるで民間療法のような解決策を出されたのだった。一応「母乳は哺乳瓶で少しずつ与えてください」という指導っぽいことも言われつつ、その場は結構簡単にお開きとなってしまった。相方さんは、瞬間的に「明日、いつもの病院に連れて行こう」と思ったらしいが、きっとそれが正解だと思う。

その後、一日、衰弱しきったコドモとゴロゴロ過ごす。コドモは、吐く事はなくなったが、相変わらず衰弱しきっており、いつもの金切り声は聞かれず、ほとんど一日生あくびをして眠り続けていて、ついでに浣腸が利きすぎたのか終始下痢気味で、ちょっと怖いくらいだった。



back
top

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送