January 21-31,2003

2003年1月
「ベイビーサイン日和」
2003/01/31 (Fri)

「ベイビーサイン」というのをご存知だろうか。

赤ちゃんが言葉を覚える前に、親たちとコミュニケーションを取るために覚えさせる、別名を「赤ちゃん手話」と言うものである。手話というよりはジェスチャーみたいなものであるが、赤ちゃんに「ミルク」だの「おいしい」だのという単語を意味するジェスチャーを覚えさせて意思表示をさせようと言う代物で、研究により、話せる前から親子で「話し合えた」という体験が親子の絆を一層強めるとか、赤ちゃんが話し言葉を覚えるのを促進するとかいった効果があることがわかってきたそうである。私は全く知らなかったのだが、相方さんの友達がテレビで見て知って教えてくれたそうで、この間相方さんが本を買ってきたのだった。

その本には、ベイビーサインの由来とか研究の結果とか学術的なことも詳しく載っていて面白そうなのでまた読もうとか思うのだが、さしあたってはとりあえず、ベイビーサインの色々を見てみる。「パパ」と「ママ」のサインがあるのだが、それぞれ親指、小指を出して挙げるポーズなので、見ようによっては「オレの女」って感じなので可笑しい気がするのだったが、とりあえずそれで教えてみることにする。他にも、「ミルク」とか、「食べる」とか、「トイレ」とかいう如何にも使いそうなのが載っているのは良いのだが、「ヘリコプター」とか、「イモムシ」とかいう、使うシチュエーションが想像できないものも結構載っていて楽しいし、あと、「ゴリラ」のサインがやっぱり「胸を握り拳で交互に叩く」なのも笑えるのだったが、一番笑ったのは、ベイビーサイン一覧の、「おじいちゃん」と「おばあちゃん」が載っている同じページに「汚い」のサインが載っていたことである。50音順なのはわかるが、よりにもよってそれはどうなのよとか思うのは、私だけだろうか。


2003年1月
「寿司盛り合わせ日和」
2003/01/30 (Thu)

お昼に適当なファミリーレストラン風の店に入ったのだったが、メニューの内容はともかく、経済的レベルが異常に高くて驚く。何しろ一番安い「寿司盛り合わせ」で、880円である。というか、そもそも一番安いのが「寿司盛り合わせ」だというのがおかしな話である。で、平日の仕事中に昼間っから寿司というのも、何ともいただけない話であるので、仕方なくみんな1200円ぐらいのうどんとご飯のセットみたいなやつにしようとしたのだったが、周りで注文している人たちがみな、最終的にはおばちゃんがメニューを聞きに来る時に持ってくる「お昼の特別メニュー」みたいな奴を選んでいるらしくて、「じゃあ最初からそれをメニューに付けとけよ」とか思いながら、おばちゃんが来るのをひたすら待つことにする。

待つこと5分。遅い。が、ようやく来たと思ったら、予想通り「お昼の特別メニュー」を出してきた。「しょうが焼き定食、1100円。スパゲティランチ、1250円」だそうだ。スパゲティランチというのは、どうやらスパゲティ+ライス+サラダみたいなのらしくて、スパゲティとライスというのはどうなのよとか思うのでパスして、みんな、食後のコーヒーが付いているという「しょうが焼き定食」を頼んでいるらしかった。それでも1100円は高いような気がするが、「残り5食分で、このテーブルの皆さんでちょうどです」などと調子の良い適当なセールストークをするので、じゃあそれでと頼んだら、しばらくしておばちゃんが血相を変えてやってきて、「こっちで注文きいてる間に3つ出ちゃって、2つしか用意できない」などと泣きついてきた。「それはお前がとろいからだよっ」と思いつつも比較的温厚に3人が「じゃあ、うどんセットで」と言い、お茶を濁す。

そして、食後のコーヒーが全然出てこないのだった。挙げ句、「コーヒーを持ってきて下さい」と言ってからさらに5分ほど待たされる。そして、「これ絶対、『持ってきて下さい』って言われてから豆挽いてるよな」というくらい待たされてからようやく出てきたコーヒーが鬼のように熱くて驚く。何が驚くって、しょうが焼きより熱いというのが驚きである。コーヒーはともかく、しょうが焼きの焼きたてを持ってこいという話である。


2003年1月
「運び屋日和」
2003/01/29 (Wed)

今日仕事で、荷物を乗せて運ぶ台車を使っていたのだったが、不意にその台車に貼ってあるラベルが気になった。そこには陽気な江戸文字で「運び屋くん」と書かれていたのである。

「運び屋」という職業がある。

だからといって、タウンページの職業欄に「運び屋」というのがあるわけでは、きっとない。或いは、三丁目の「運び屋」の角を曲がった所には、きっと誰も住んでいないだろうし、そもそも、そんな角は探しても見つからないだろうと思う。どちらかといえば裏の世界の職業である彼らの主な仕事は、何となくやばそうなものを、いかにもやばそうな感じで、かつ、誰にもそれと気づかれないように運ぶことであると思う、たぶん。

例えば「運び屋」がみな「運び屋くん」を使用していたとしたらどうだろう。麻薬だの覚せい剤だのを、青い「運び屋くん」に乗せて軽快に走る「運び屋」たち。なかなかに微笑ましい光景である。それぐらい堂々としていれば、逆に目立たないのかもしれない。

「運び屋」とよく似た職業に「走り屋」というのがある。

タウンページに載っていないのは「運び屋」と同じであるが、「運び屋」と決定的に異なるのは、「走り屋の方が、比較的ポピュラーである」という点である。つまり、三丁目の「走り屋」の角が意外とあるかもしれないのである。例えば、私の実家の近所には、間違いなく「走り屋」が存在しており、別にのれんや看板を掲げているわけではないのだが、夜ともなればしきりにブンブンブブブンと音を立てて、営業活動に大忙しである。

ここで重要な事実を紹介しなければならない。それは、「走り屋の運び屋」の存在である。見たことはないが、絶対居るはずである。賭けてもいい。「運び屋くん」10台、賭けてもいい。絶対、居ると思うのである。

街で「走り屋」の車を見かけたら、その後部座席に注意してほしい。そこに「運び屋くん」が乗っていれば、それは「走り屋の運び屋」に違いないのである。もっと言えば、「運び屋くんの運び屋の走り屋」である可能性が高いのである。


2003年1月
「死に場所日和」
2003/01/28 (Tue)

家に帰り、コドモが寝ている台所に行く。交代で相方さんが、台所の隣にあるアトリエに何かを置きに行ったのだったが、不意に「あ〜れれれ〜」と情けない声を上げたので驚く。何事かと思って見に行くと、机の上の「ハッピーマニア11巻/安野モヨコ」の上にゴキブリがちょこんと固まっていて、ちっともハッピーじゃないことになっていたのだった。殺虫剤をかけてやろうかと一瞬思うが、周りには相方さんの絵がわんさか置いてあるのでやめにして、火ばしで直接ぐぁしっと捕まえる。この寒さにゴキブリはどうにも動きが鈍くなっている、というか、もう既に死んでしまっているようでもあり、全く何の抵抗もなく捕獲に成功したのだった。一応熱湯で完全に息の根を止めてやってからゴミ箱に捨てる。

人間、死に場所って大事だなあとか考える。


2003年1月
「殺される夢日和」
2003/01/27 (Mon)

驚くことに、20日に引き続き、また殺される夢を見た。今回はハイヒール・モモコが容疑者ではなく、犯人でもなく、ましてハイヒール・リンゴが犯人でもなく、どうやら私は何かの事件に巻き込まれてしまっているらしいのだった。何に巻き込まれているのかがわからないのが困ったものである。

何処かのプレハブの3階にあるアパートの一室に、私を含め数人のオトコたちが居る、らしい。ぼんやりとしていて、全員の顔や名前はさっぱりわからない。私は窓の外を眺めたりしながらぼんやりしていたのだが、不意に部屋の中が「このままここに居ては危ない」という雰囲気になる。この辺り、特に会話らしい会話をしていないので、雰囲気でそうなったとしか思えないのであるが、そう思った瞬間に部屋をこれまた数人のオトコたちが襲撃してきたのだった。窓際でぼんやりしていた私は咄嗟に窓から外に逃げ出したのだったが、しばらくベランダの柵の上とか電線の上なんかを走っていたものの、結局足を踏み外したか何かで下まで落っこちてしまったのである。「これは駄目だ、もう死ぬし、たぶん痛い」と思いながら落下し、落ちたような感覚と同時に目が覚めた。

これまでに、空を飛ぶ夢、というか、妙にジャンプ力が強くなって空をひょいひょい飛んでいける夢は何度か見たことがあったし、或いは階段を踏み外す夢というのも見たことがあって、そのたびに体がビクッとなって目が覚めたりしていたのだが、足を踏み外して落っこちる夢というのは、記憶にある中では初めてである。落っこちて死ぬ夢というのは、これまたどういう意味合いなのだろうか。というか、アパートの一室を襲われるなんてこと、相当悪いことをしない限りあり得ないと思うのであるが、夢の中の私は一体何に巻き込まれてしまったのだろうか。


2003年1月
「松本日和」
2003/01/25 (Sat) - 26 (Sun)

毎度お馴染みN-16のライブのため、長野県松本市を目指して出発する。数日前の日記にも書いたが、3度目となる今回の松本行きは、JR京都駅のみどりの窓口で吉田に売ってもらったチケットで松本を目指すのだった。

午前10時に我が家の玄関で相方さんとコドモと待ち合わせて、というかまあ一緒に家を出る。10時30分に京都駅の地下改札でトリイくんと、その後新幹線のホームでN-16メンバーと合流し、そのまま新幹線で、ひとまず名古屋へ向かう。コドモは、私が社会人になってから初めて乗ったという新幹線に、齢半年にして、しかもタダで乗ったという割には大した反応もなく、普通に大人しく過ごしていたのだった。

名古屋駅で乗り換え。ベビーカーがあったので駅員さんにエレベーターの場所を尋ねると、何故か名古屋駅の助役さんが一緒にエレベーターに乗ってくれたので、調子に乗って「『特急しなの』に乗るんですけど」と言うと、なんか「関係者以外立ち入り禁止」な匂いのプンプンする通路を通されて、駅のホーム連絡橋まで連れていってくれたのだった。「VIP待遇だ」だの「大物政治家ばりの扱いだ」だのと嬉しがっていると、不意に海部俊樹元首相が秘書風の男たちに囲まれながら通りすぎていき、まさか本物の大物が通りすがるとは思っても見なかったので驚く。で、さっきの会話が聞こえていたら恥ずかしいよなあと思う。

特急しなのに乗り、松本へ。松本に近付けば近付くほど雪深くなっていくのが火を見るよりも明らかで、何とも寒そうなので、松本駅に着く前にコドモにはズボンの下に、様々な書体で「GO! GO! GIRLS!」という、直訳すれば「行け! 行け! 少女たち!」という意味不明のフレーズが所狭しと書き散らかされている、意図がよくわからないタイツを履かせておいたのだった。

松本は、雪こそ降ってはいないものの、町中に残る雪の量が半端ではない。後で聞いた所によれば、松本でこれだけ雪が積もることは結構珍しいのだそうだ。寒さが肌に突き刺さり、痛い。

松本駅から徒歩5分のライブハウスへ行き、出演者との挨拶もそこそこに、コドモが電車の中で終始ご機嫌だったのであげるタイミングを逃していた母乳を与えることにする。ライブハウスの2階にある練習スタジオを貸し切って授乳。本当に、色んな所で乳を飲むコドモである。

その後、出番が最後である私たちが、最初にサウンドチェック。いつものことながらサクサクっと終了すると、しばらく他のバンドの音を見たり聞いたりしてから、今夜の宿である、ライブハウスから徒歩2分のホテルにチェックインする。今回はコドモ連れなので、会場に近くていつでも部屋に戻れて、いつでもお風呂に入れる所に泊まる必要があったので、前回お世話になったチフミさん家のお寿司屋さんではなく、比較的安価なビジネスホテルを予約しておいたのだった。というわけで、ホテルの部屋でしばらくのんびり過ごしてようということになり、おむつを換えたり、乳をやったり、ゴロゴロ昼寝したりして過ごして、はっと気が付けば午後5時ちょうどで、ちょっと本気でのんびりしすぎていたことに気付き、焦る。

ライブハウスに戻ると既に人気はなく、みんな何処かへ行ってしまっているご様子。電話しても何故かみんな留守電で、仕方がないので適当にブラブラして、開場開場・開演時間が何時かわからなかったものの、たぶん午後6時に開演なんてことはないだろうと高をくくってミスタードーナツでラーメン飲茶セットをずるずるとすすり、6時過ぎにライブハウスに戻ると、先ほどとは打って変わって結構人が入っており、というか、今まさにライブが始まろうとしていたのだった。

一つ目のバンド・ハナダイズは最初に松本に来た時に見たのだったが、もう既にその時のことが記憶になさげだったりしつつ言うのも何なんですが、新曲といってやったポップな2曲が個人的にすこぶる良かった。コドモもノリノリである。

二つ目のざ・はっぴぃずのボーカルの人が、のたうち回って歌ったりハープを吹いたりしていているうちにコドモが就寝。本当に眠い時は、どんな所でも寝られるみたいである。まあ、オトナもそうである。

で、そのはっぴぃずは、なかなかにロケンロールで面白かったのだったが、個人的には、ギターの人が被っている帽子を演奏中に投げ捨てる、その絶妙な間とタイミングに笑ってしまった。というか、1曲目始まって、すぐだ。すぐ。「だったら被ってくるなよ」とか思って一人ほくそ笑んでいたのだった。

三つ目のBEAGLESは、パワーでポップなギターのロックな感じで、聴いていると元気が出てくる爽快な演奏。ほとばしる汗からにじみ出る若さを羨ましく思う。ただし、コドモは熟睡。

四つ目のP-Heavyが始まる頃にコドモが起きだしたので、自分の準備だけ終わらせておいて、抱きながら、踊らせながら見る。松本に来るたびに見ているような気がするが、見るたびに印象が違っていて、色々と面白い。今回は、何だか色々としっかりしてるなあという印象を受ける。ただ、正直な話、自分の出番が近くて、自分の楽器がホテルに戻っている間に何処かに収納されてしまっていたのでそれを探したり用意したりしていて、その上気分を落ち着けて和むためにコドモの面倒もみたりしていて、あんまりちゃんと見られなかったかなあという印象。申し訳なくもあり、残念でもあり。

ようやく自分たちの出番。おかげさまで、お客さんに助けられてかなり気持ちよくやらせて頂く。曲が終わるたびにいちいちリアクションがあって、京都や大阪では意外となかなかそんなことはないので、面白い。後で聞いた話だが、N-16演奏中、コドモはずっと泣きじゃくっていたのだそうで、相方さんとトリイくんが必死にあやしてくれていたのだそうだ。申し訳ない話である。やってる側は、ステージ前で踊っている外人の動きは気になっていたのだったが、コドモの泣き声にはちいとも気付かなかった。さすがにコドモには3時間以上のライブはきつかったようである。

ということで、ライブ終了後、私と相方さんとコドモは、挨拶もそこそこに、そそくさとホテルに戻ったのだったが、てっきりもう10時半ぐらいだと思っていたら、まだ9時半で、ちょっと驚く。一旦部屋に戻り、コドモに乳を与え、おむつを換え、寝かしつけてやって、コンビニで食料を買い込み夜食。明日の朝食用に色々買い、ついでにアイスも買い、とりあえず部屋の冷蔵庫にしまうが、結局予想以上に睡魔の襲ってくる時間が早く、あっという間に迎えにこられてしまったので、あっさりシャワーを浴びて寝る。たぶん、11時くらいだったんじゃないだろうか。私たちにしては、結構な早寝である。

翌朝、午前5時30分、コドモに蹴り起こされる。早起きにも程がある。仕方がないのと、自分たちも結構早めに寝たといえば寝たので、相方さんがコドモとお風呂に入り、乳をやり、その後コンビニで買い込んだ朝食を食べる。昨日の夜に買っておいたコーヒーやサンドイッチを冷蔵庫から取り出すが、イマイチ冷えていないのはどうしたことかと思ったら、冷蔵庫のコンセントがきれいさっぱり抜けていたのだった。おかげで、冷凍室に入れておいた「ガリガリくん」がすっかり「ドロドロくん」になっていて、哀しい限りである。

その後、何となくテレビを付けて、所ジョージが備長炭の凄さに驚く番組を見、その後、ミスター味っ子がステーキを柔らかく焼くアニメを見ながら、相方さんと「『美味しんぼ』と『ミスター味っ子』は、書いてある通りに作ってもちっとも美味しくなくて、むしろまずいのだが、『クッキングパパ』だけは書いてある通りに作ると美味しい」だの、「そういえば以前に、千原兄弟が『クッキングパパ』の本を見ながら料理をしていた」だの言いながら、コドモと3人で、朝8時から昼寝。

寝ながらぼんやりとテレビを見て徳光さんが出てるなあとか思っていたのだったが、不意に徳光さんが何やら番組の締めのコメントを始めたような気がしたので時計を見ると、9時52分。チェックアウトは10時なので、慌てて相方さんを叩き起こし、必死でロビーへ。

P-Heavyのチフミさん家に泊まっているN-16面々に電話をすると、まだスヤスヤ寝ているというので、しばらく松本の街をプラプラする。パルコの地下にあるオリエンタル雑貨な店でコドモの服や相方さんの指輪などを買い漁る。

街中で堂々とシャベルカーが除雪作業をしていて、ちょっと面白い。

あまりに寒いのでドトールで休憩しながら時間をつぶし、N-16+P-Heavy一行と待ち合わせて、信州そばを食べに行く。途中、カエルの街だというナワテ通りを通ったのだったが、

気味が悪くて仕方がない。

ちなみに、胸元にぶら下がっているのは、なんだか薄汚れたマフラーや手袋である。有り難いのだろうか、こんな不気味なカエルが。

そば屋で、コドモにフリーズドライの便利な離乳食を食べさせるために「湯飲み一杯のお湯を下さい」というと、何故か、やかん一杯のお湯が出てきて驚く。私は、ラグビー部員ではないので、やかんでお茶など飲んだりはしない。


2003年1月
「酔っぱらい日和」
2003/01/23 (Thu)

練習から帰り、ご飯を食べてお風呂に入って、軽くうだうだ過ごし、そろそろ寝ようかと思った深夜1時過ぎ。不意に、玄関のチャイムが鳴った。不気味にも程がある。少しためらいがちに、恐る恐る玄関のドアに映る影を眺め、その姿に見覚えがあった私は、少しビクビクしながらドアを開ける。そこに立っていたのは、思った通り、ほんのり顔を赤らめた、ほんのりどころかもの凄く酒くさいアキオさん(実父)だった。終電に乗れない、というか、乗る気がなくなるくらいに飲んで、家に帰れなくなって咄嗟に我が家に泊めてもらいに来たのだそうである。まったく、学生気分も甚だしい。

で、「呂律が回らなくなりながら何度も同じことを言う」という模範的な酔っぱらいの仕草を連発しながら、寝ているコドモの顔を一応確かめ、その感想をまた何度も私に説明しながら、床についたアキオさんなのだった。

そういえば昔、アキオさんはこの状態のままタクシーで実家に帰ったりして、おかげで途中で車に酔って気分が悪くなり、やっとたどり着いた玄関先で我慢できずに吐いてしまい、ケイコさん(実母)にこっぴどく叱られていたことが何度もあったなあなどと、色々思い出すのだった。我が家で吐かれなくて良かった。というか、「オトナよ、来るなら来ると言え」と思う。


2003年1月
「早起き日和」
2003/01/22 (Wed)

コドモが例によって早起きで、珍しく私も目が覚めたのでビデオの時計を見てみると「4:44」だった。早起きにも程があるが、思わず相方さんに「444だ」と言い、言うだけ言ったらすっきりして、すぐにまた眠る私なのだった。相方さんはコドモに乳をやったり、相手をしたりしてそのままうだうだ起きていて、結局私が仕事に行くのに起きたのとほぼ交代で眠りについていた。それでもコドモは楽しそうに起きていた。おじいちゃんみたいなコドモである。

会社から歩いて帰る際にいつも通る、薄暗くて人気のない寒々しい路地を今日も今日とて歩いていると、私の少し前、追いつきそうで追いつかないくらいの距離の辺りを女性が一人で歩いていて、私がいつも曲がる方、曲がる方にいちいち歩いていくので、まるで私がストーカーでもしているかのような気分になったのだった。なんか、気持ち悪い。

仕事から帰り、着替えてすぐさま歯医者へ。着いてすぐに呼ばれて治療が始まったまではよかったのだが、すぐに麻酔を打つだけ打って「麻酔が効いてくるまで待合室でお待ち下さい」と言われたのだったが、何故か麻酔が切れそうなほどに待たされた。「麻酔って何かね?」とか考える。


2003年1月
「面接日和」
2003/01/21 (Tue)

先日、相方さんが、コドモと一緒に面接に行った。

基本的に、保育所に乳飲み子を預ける場合には、夫婦が共働きであるなど、昼間に家庭で適切な保育が出来ないという事情を市町村に認めてもらわなければならず、そのためには、お互いの職場の就労証明書や源泉徴収票などの書類が必要であり、且つ、親が市町村職員による面接を受けなければならないのである。ちなみに、面接の連絡をくれた市の職員が「コドモさんは連れてこなくても構いませんから」などと頭の悪いことを抜かしたのだそうだが、こっちは、その預ける場所がないから面接を受けるのである。お役所仕事め。

京都市としては、「できれば4月から入所して欲しい。途中からの入所の場合は、保育所ごとに預けられる人数に限りがあるので定員の空きが出るのを待たなければならず、希望通りの時期に入所できるとは限らない。というか、ほぼできない」という事情と、「家庭で保育できる期間は、できるだけ預けないでいてもらいたい」という事情、二つの矛盾した事情があり、初恋に悩む中2男子の春のように煮え切らないのだった。

相方さんの場合、実質育児休暇が7月初めまであり、それまでは働いていないので当然家庭で保育できることになるのであるが、かといって7月になれば入所できるとは限らない、というか、ほぼできないのである。聞いた話によれば、人によっては会社に頼んで育児休暇の期間を4月までに書き直してもらったりするケースもあるのだそうだが、どうにもそういう所で嘘をつくのは腑に落ちない私たちである。そこで、相方さんが面接時に言った言葉が凄い。

「私は、会社勤務の他に、画業を営んでおります」

確かに相方さんは個展を開いたり、カレンダーを作ったり、絵はがきを作ったり、Tシャツを作ったりして、それらを売ったりもしたことはある。あるが、それはそれ、「画業を営んでいる」というほど収入があるわけでは当然ないのである。何なら、ギリギリ赤字である。ただ、確かに4月からコドモを預けて、7月までの間に個展を開く計画を立てていたりはするので、そのことを面接時に職員に説明してみると、職員が上司に相談をしてくれたそうである。で、たまたま申し込んでいる保育所にも結構空きがあるようなので、4月から預けられそうな気配になってきたのだった。ただし、そのためには一つだけ条件があった。

「相方さんの、画業に関する就労証明書を提出する必要がある」のだそうである。

面接時に説明を受けながら書いたという、画業に関する就労証明書の下書きを見せてもらったのだが、これがなかなかの力作で、知らない間に相方さんが、自宅で週休2日の9時〜17時勤務をしていることになっていて笑う。9時5時って。そりゃまあ、そうなのかもしれないが、今更かしこまってそんなこと書かれると、可笑しくて仕方がないのだった。しかも、ここ数ヶ月の収入は0円。それ、勤務でもなんでもないじゃないかという気がしないでもないのだが、実際、自営業の方の場合は、これに近いことを、ごくごく普通に平熱で書いているのだそうで、その辺は意外と適当なもんなんだなあとか思うのだった。



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