December 11-20,2002

2002年12月
「年男日和」
2002/12/19 (Thu)

仕事中、不意に近くの席の上司が、何処からともなく、金色に輝くプラスティックの羊をもらって帰ってきた。来年の干支である。半分笑いながら、困ったように「もらってしまった・・・」と言い、「まあ、この辺に飾っとこうか」と、部屋の入り口近くの棚に飾る。私が「めでたそうで、良いですね」と、思ってもいない適当なことを冗談めかして言うと、返ってきた言葉が「ほら、来年、僕、年男だから」で、「ほら、僕の座右の銘、『食べる前に飲む』だから」と言われた場合と同じくらい、返答に困る。というか、「ほら」の意味がわからない。戸惑った私は、とっさに、考えるより早く反射的に言葉を返したのだった。

「それは、おめでとうございます」

言いながら、小首をかしげる。果たしてこれは、正しい返答なのだろうか。だいいち、年男ってめでたいものなのだろうか。ただ、年齢が12で割り切れるだけの話のような気もするのだが、そんなことを言ってはいけないのだろうか。


2002年12月
「300円日和」
2002/12/18 (Wed)

仕事の後、歯医者へ行く。新しい歯医者に行ってこれが3回目。今日は、山盛りある虫歯たちの治療は一旦置いておいて、歯周ポケットがどうのこうのという感じの名前の検査をしますと言われる。どんな検査かと思えば、歯茎をチクチクつつかれながら「3,4,3」などと言われる検査。このチクチク感が微妙に痛気持ちよかったりするのだったが、この感覚は前に行っていた歯医者でも味わったことがあり、その時は「3,4,3」などと言われはしなかったのだが、代わりに何やらメモを取られている風だったことを思い出した。

聞いたところによれば、これは歯と歯茎の間の部分の深さを測る検査なのだそうで、数字が大きければ大きいほど溝が深く、ゴミが溜まりやすく、虫歯や歯周病になりやすく、どじでのろまでおっちょこちょいなのだそうである。ただし、こまめに正しい歯磨き方法で磨いてさえいればこの溝はどんどん浅くなるとのこと。次回、正しい歯磨き方法を指導されることに決定したところで本日の治療は終了。治療費300円。安い。というか、もしかして、治療してない?


2002年12月
「三種混合日和」
2002/12/17 (Tue)

今日は、コドモが病院で三種混合という何やら凄そうな注射を打たれる日だった。何しろ、三種混合である。なんだかよく分からないワクチンみたいのが三種、ちょうど良い感じに混合されているのである。しかもそれを、少量ずつ三回に分けて注射するという。今日はその一回目なのである。

全く関係ないが、頭では分かっていても、どうしても「三種混合」よりも「三種金剛」の方が、何というか、似合っていると思う。

で、私は普通に仕事なので、相方さんが近くで感じの良い小児科に行ってきたのだそうだ。というわけで、ここから先は全て私が相方さんに聞いた話である。

病院へ行くと、もうとっくにハイハイだのおすわりだのをしているコドモよりも、うちの、おすわりさせても前のめりに倒れていくコドモの方が断然大きく、驚く。医者も驚く。驚きつつも医者が注射前に説明をしてくれたのだそうであるが、相方さんが要約したところによると、「この注射は普通の注射よりも断然痛いので、コドモは100%泣きますが、泣いたら、後はよろしくお願いします」ということだったそうである。つまり、泣いても医者は何もしてくれないらしい。

コドモは、待合室で待っている間などは全然ご機嫌だったのだが、いざ注射前に腕に消毒液を塗られると、急に哀しくなって泣き始めたのだった。思うに、生後まもなくの頃に、無理矢理全身にハッカ油を塗りたくられて、体がヒリヒリして大泣きしたことがあったことを思い出したのだろうかと思う。不憫でならない。

その後注射が終わるまではさすがに泣きっぱなしだったらしいのだが、5分も過ぎればもうそんなことはすっかり忘れて、眠りたくても眠れずにもがいているのだった。さすがコドモ。立ち直りが早いというか、何にも考えてないというか。と、そこにお医者さんが現れ、追い打ちをかけるかのように一言。

「はい、今日のことはとっとと忘れて、また来月ね」

そうか、今日あったことなぞ、あっという間に忘れてしまうのだなあと、不思議な気持ちになるのだった。というか、なんだか変な別れの挨拶で可笑しい。


2002年12月
「食間日和」
2002/12/16 (Mon)

実は土曜日辺りから、もっと言えば金曜日くらいから、何となく、軽く頭が痛いような痛くないような感覚がしていたのだったが、土日ともに予定が詰まっていたのもあって、たまたま実家から持って帰ってきていた葛根湯でごまかしごまかし過ごしていたのだった。というか、相方さん曰く「『葛根湯がある』と分かった時点で、もうなんか元気になってた」のだそうだ。なんだか私は、「飲む薬がある」というだけで安心して、元気になれる体質であるらしい。「病は気から」とはよく言ったものである。

で、週明けでいきなり、夕方から延々夜7時近くまで会議。それも、お笑いで言えば「ネタ出し」みたいな会議で、お笑いで言うなよという話ではあるが、とにかく必要以上に頭を使ってしまったため、治りかけていた頭痛が少しぶり返したのだった。家に帰ってご飯を食べてコーヒーを飲んで、お風呂に入って、スカパーで録った「木村祐一・写術ライブ」のビデオをぼんやり見てたら治っていたので、まあ知恵熱みたいなものだったのだろうと思う。

葛根湯で思い出したのだが、葛根湯というのは、食前、もしくは食後2時間以上が過ぎた、いわゆる「食間」に飲む薬なのであるが、コドモの頃、「食間」というのは文字通り「食事の間」で、食事の最中に飲むものだとばかり思っていた私である。というか、食前、食後ときて食間だったら、食前が食事の前で、食後が食事の後なんだから、食間は食事の間と思う方が自然じゃないか。なので、てっきり「食間に飲む薬」というのは、食事の最中に、みそ汁、ご飯、さかな、ご飯、野菜、ご飯、くすり、ご飯、みたいな感じで、まるでおかずの一品のごとく、なんなら「ふりかけ」のごとく扱うものだとばかり思っていた私である。私の予想では、9割以上の人はそう思ったことがあると思うし、なんなら軽く2割くらいの人は未だにそう思っているのではないかと思うのだが、どうだろうか。というか、紛らわしいのよな、「食間」て。いっそ「食後2時間近く過ぎた頃」だから「食べ頃」とか、「食後2時間近く過ぎたあたり」なので「食あたり」とか、そういう覚えやすいことにしてしまったらどうなのかと思う。そうすれば薬の注意書きには「食べ頃になったらお飲み下さい」と書かれることになり、常識ある紳士淑女は「薬の食べ頃っていつなのだろうか」と思い悩むことになるのである。

或いは、腹痛が治まらず慌てて買ってきた薬の注意書きが「食あたりになったら、お飲み下さい」だったらどうか。何を当たり前のことを書いているのかという話である。食あたりになったから、薬を飲むのである。で、その薬をいつ飲むのかということが知りたいのに、この始末。「どうすりゃいいんだよっ」と、やりきれない思いで薬を床に投げつけざるを得ない。

と、ややこしいので、「食間でいいか、別に」と思う。


2002年12月
「忘年会日和」
2002/12/15 (Sun)

午後から、今日は相方さんがコンドルズを見に行き、私とコドモは天気が良いので二人で散歩に出掛ける。家から京都駅までぼんやり歩き、本屋とCD屋を物色。スターバックスに入ろうと思ったのだが、さすがに休日の午後は人が一杯だったので諦めて、京都駅ビルの1階にある、明らかにスターバックスを意識した、明らかに空席の目立つカフェで休憩するも、カフェラテを一口飲んだ瞬間にコドモのお尻から景気のいい音が響き、どう聞いても空砲ではなく実弾っぽい音だったので、そそくさと飲み干し、店を後にする。一瞬、そのまま家に帰ろうかとも思ったが、いくら何でもおむつにうんちを付けたまま30分近くほったらかすのも可哀想な話なので、伊勢丹の7階にある赤ちゃん休憩室でおむつを替えてやることにする。以前にも書いたが、伊勢丹にはベビーカー専用エレベーターがあるので利用したのだが、エレベーターガールのてきぱきとした動きによって、一つのエレベーターにベビーカーが7台もひしめき合い、そんなに乗るものかと驚く。

夜、我が家で鍋。忘年会である。とはいえ、出席者の一人は風邪で欠席、一人は仕事+私用で遅くなるとのことで、前半2時間近くは「今日は友達が一人、我が家に鍋を作りに来てくれました」みたいなことになっていたのだった。

鍋に関しては、地域によって、家庭によって、本当にバラバラであるのだが、面白いのは、誰もが盲目的に「我が家の鍋が一番正しい」と思いこんでいる節があるのである。今回、忘年会の話が出た時点で「水炊きに何肉を入れるか」という話になり、豚肉しか入れないだの、鶏肉しか入れないだの、両方入れるだのと様々な意見が出たのだったが、それ、要するに「うちではこうだった」という我が家の鍋自慢なのであって、決して「これがおいしい」とかいう類の話ではないのである。ただ、相方さん曰く「本当においしい鍋の食べ方を知っているのは、普段飲み歩いている酒好きのおっさんである」とのこと。一理あると思う。

そんなわけで、家では水炊きの肉は鶏肉しか入れない人が材料を切り刻んでくれたおかげで、間違って豚肉のスライスがちょいと冷凍されているのをまとめてぶつ切りにしてしまい、かなり面白い感じの肉の塊がゆで上がったりして、可笑しかったのだった。無知とは恐ろしいものである。


2002年12月
「おさむちゃん日和」
2002/12/13 (Fri)

コドモのお気に入りの一つに、口の中で舌をコンッと鳴らす、テレビで言えば、おさむちゃんがよくやっている、アレがある。アレの音がかなり面白いらしく、結構遠くにいて顔が見えていないような状態であっても、コンッとやると、ぐひゃひゃひゃと笑うのである。或いは、唇を隠すように閉じてから思いっきり開いてパッと鳴らす、テレビで言えば北大路欣也がやってそうな、やってなさそうな、たぶんやらなさそうな、とにかくそういうのもお気に入りである。

最近は、何となくコドモをあやす時についついそれらをやってしまうようになってしまい、それでもコドモは飽きもせずに機嫌が良ければ楽しんでくれるので、こちらも飽きもせずにやり続けているわけなのであるが、一つ不安に思うのは、これ、ふとした気の緩みで仕事中にやってしまわないかということなのである。

上司が、何かの資料を見ながら考え込んでいる。気付いた私が、周りの様子を見ながら、さりげなく話し掛ける。

「(コンッ)どうしたんですか、部長?」

気が緩みすぎである、という気もする。しかし、癖というのはそういうものなのである。たぶん。

上司だったらまだいい。いや、本当はちっともよくないし、その後どんな処分が待っていようとも抵抗する術を持たないのであるが、これが電話だったら、ことはもっと大ごとである。気の緩みきった男が、電話に出るなり、

「(ポンッ)はい、○○です」

世のサラリーマンは、そう言った言葉がつい口を突いて出てしまわないよう、細心の注意を払いつつ仕事に励まなければならないシステムになっている。ふと睡魔が宿る瞬間など、仕事中は危険がいっぱいなのである。


2002年12月
「売れない日和」
2002/12/12 (Thu)

夜、マコトさん(義父)とサチコさん(義母)がコドモの顔を見にやってきた。コドモは、この間アキオさん(実父)とケイコさん(実母)に面倒を見てもらった時とはうってかわってご機嫌で、まあ夕方4時からたっぷり4時間近く寝くさっていたのだから当然なのだが、それでもすこぶる寝起きが良く、明るい笑顔を振りまいていた。

二人はコドモ服の販売業を営んでいるので、何かとコドモ服を持ってきてくれるありがたい両親であるのだが、今回もまた、胸に何故か「american」と書かれたやけにテンションの高いトレーナーなど、新作を何点か持ってきてくれたのだった。中に1点、「これ、売れないのよー」と言いながら見せてくれたのは、胸の辺りに大きなポケットがついた、変な紅ショウガ色のロンパース。その色も気になるのだが、胸のポケットに描かれているキツネっぽい動物の目がうつろで、顔色も悪くて、どう見ても死にかけで、そりゃ売れないだろうと思う。


2002年12月
「濃いニュースキャスター日和」
2002/12/11 (Wed)

三谷幸喜の「HR」を見る。生瀬勝久がいつの間にかすっかりレギュラーになっていて、ちょっと驚く。私の中では三谷幸喜と生瀬勝久というのは結構相容れないもののような気がしていたのだが、見ていると、なんか意外とありなのだろうかという気がする。第一、気に入らない人はたぶんレギュラーにはしないだろう。

で、まあそれはそれとして、実はこの番組を見るたびにいつも思うことがあるのである。

この番組の後に始まるニュースのキャスター、ちょっと濃すぎやしないか。

それが良いとか、悪いとかいう話ではない。濃いとか、濃くないとかいう話である。

女性の方は、黒髪でこそあれ、どう見ても外人顔である。というか、外人である。何しろ、名前が「滝川クリステル」だ。なんでも、パリ出身の女子アナであるらしい。ハーフなのか、フランス人なのか、判断に苦しむほどの外人顔である。

少し話がそれるが、フジテレビの女子アナにもう一人ハーフの人がいるのだが、彼女の名前が「政井マヤ」で、なんとなく凄そうであると思う。カタカナで書けば「マサイマヤ」である。逆から読めば「ヤマイサマ」である。だからどうしたという話ではあるが、なんとなく凄そうであることは確かである。

話を戻そう。夜11時30分からのニュースのキャスターの話である。一人はどう見ても外人顔の女性「クリステル」であることは説明した。その時点で十分濃いのであるが、さらに追い打ちをかけて濃いのが、実はもう一人の男性の方である。彼は、どう見ても日本人ではあるのだが、とにかくヒゲが森繁久弥ばりにふさふさなのである。その時点で、そんなキャスター見たことないのであるが、そのくせ頭頂部は若干薄く、逆さから見ても人の顔に見える騙し絵的な要素を持った顔立ちで、言っちゃあなんだが、もの凄くうさんくさいのである。

それが良いとか、悪いとかいう話ではない。うさんくさいとか、うさんくさくないとかいう話である。

それにしても、同じ時間のどの番組よりも濃い顔ぶれが二つも並んだニュースであるのに、逆に何となく説得力があるような気がするのは、一体何故なのだろうか。うさんくさいのと、嘘くさいのとは似て非なるものなのだろうか。



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