December 21-31,2000

2000年12月
「ママカジ日和」
2000/12/29 (Fri)

年末らしく、部屋の掃除をする。掃除の度に部屋のレイアウトを変えたくなるのは何故だろう。別に今までのままでも問題ないはずであるのだが、なんとなく変えたくなるので困るのである。

タンスの中から、これはもう着ないだろうという服たちを潔く捨てることにした。タンスの引き出しをいちいち全部ほじくリ返してみると、高校生の時に来ていたシャツや、穴の空いた靴下などが我先にと出てきて驚いたのだったが、もっと驚いたことに、「なんだこの色は」とか、「なんなんだ、この、いちいちむかつく柄は」というような、明らかに親が買ってきたであろうバカ服たちがたまに出現して、それはそれで可笑しくて仕方がないのだった。どこからどう見ても着た様子がないし、そもそも、絶対着たくない。そういう服たちをとりあえず物置きに移動させると、タンスが妙にすっきりしたのだった。タンスが一杯だったのは、そのせいらしい。


2000年12月
「つぶやきコーヒー日和」
2000/12/28 (Thu)

烏丸三条にあるスターバックスコーヒーのソファ席で一人カプチーノを飲みながら本を読んでいると、「田舎から出てきました」という雰囲気のプンプンする50代くらいの男性が、「ここ、空いてますか?」と、向かいのソファを指さして尋ねてきた。基本的に道を尋ねられやすい私だからこそ声をかけられたのだと思うが、特に断る理由もなかったのとで、軽く「いいですよ」と言ってしまったのが間違いだった。

その男性、面倒くさいのでこれ以降はおっさんと呼ぶことにするが、そのおっさんは席に座るなり席を立ち、というか、席に座ったり立ったりしていて、見たこともないほどの落ち着きのなさである。しかも困ったことに、このおっさん、一人言が異常に多いのだった。何かとぶつくさぶつくさ言っている。コーヒーをまぜながらぶつぶつ。トイレに行くらしく立ち上がってからぶつぶつ。「比較的静かな店」という理由でわざわざこの店を選んでいる私にとっては、全くもって何もかもが台無しである。最終的に「そろそろ帰るか」と一人言を呟いたそのおっさんは、呟いた後もたっぷり30分くらいしてから店を出て行ってくれたのだった。一人でコーヒーぐらい静かに飲んで欲しいものであると思う。


2000年12月
「油揚げ日和」
2000/12/27 (Wed)

細い路地を歩いていると、油揚げをあげている家があった。古い町家風情で、道路に面した入口は取り外され、外から見える部分は全て土間のような昔ながらの台所のようなものだった。きっと豆腐屋か何かだと思う。

頭に手拭いを付けたおばあちゃんが、揚げ立ての油揚げを手際よく網のようなものの上に並べていく。と、1枚のお揚げが網からこぼれ、床に落ちてしまった。さて、どうするのかと気になったが、通りすがりの私がそこで立ち止まってお揚げの行く末を眺めるのは感じ悪いし、あまりにも怪しい。ひとまずその場はそのまま歩いて通り過ぎることにして、ぎりぎり見えるくらいの所まで行って立ち止まった。振り返って様子を伺うと、おばあちゃんはその落ちた油揚げを普通に拾いあげ、軽く払うこともせず、ただそのまま流れるような仕草で網の上にのせていただけなのだった。それでこそ、老舗の豆腐屋である、なんとなく。別に、青春の血と汗と涙が染み込んでぬかるんだグラウンドに落としたわけではないわけだし、まあ、別に良いかという気がするのである。

9回裏2死満塁。4番バッターが高く打ちあげたフライをライトの選手が落としたら、こんなにまずいことはないが、4番打者が家の台所でこんがり揚げた油揚げを、ライトの選手が家の台所で落としたとして、誰も全く困らないわけである。この困らなさといったらどうだ。油揚げを落とす人生は、困らない良い人生。フライを落とす人生は、困ってしまう悪い人生。できることなら、困らない人生を生きたい私である。


2000年12月
「不二家日和」
2000/12/24 (Sun)

クリスマスイブ。クリスマスといえばケーキである。無性にケーキが食べたくなった私と相方さんは、「どうせなら自分たちでケーキを作ろう」と思い立ち、といっても無印良品とかで売っている「ケーキ作りセット」みたいなのを買ってこようという魂胆で街へ出たのだったが、街に出た途端、巷で売られている市販ケーキたちのあまりのおいしそう感にあっさり負け、「どう考えても、これよりおいしそうには作れない」と悟りを開き、どうせ買って帰るならと、アイス好きな私の提案により不二家のアイスクリームケーキを買って帰ったのだった。

で、不二家で買ったそのケーキにはペコちゃんとポコちゃんの笑顔が付いていたのだったが、これがどう見ても「生首」で、なんとも縁起が悪そうで可笑しいのだった。


2000年12月
「横分けサンタ日和」
2000/12/22 (Fri)

今日、京都市内の通りを歩いていると、女性の店員がサンタの格好をしているお店があった。まあ、この時期そんなに珍しいものではないのかもしれないが、よく確認してみると、その店は床屋なのだった。

今年小学校に入学したばかりのミノル君は、クリスマスになると、どんなプレゼントが貰えるのかとわくわく期待しながら、たとえ「実物大のガンダムが欲しい」などと考えていても、そんなものが入るわけのない大きさの靴下を用意して、枕元においたり、ベットにぶら下げたりして、ドキドキ、ドキドキしながら眠りについたのだった。朝、目が覚めて靴下を見ると、当然のように何も入っていない。しょんぼりしながらも顔を洗いに洗面所に向かったミノル君は、鏡に映った自分を見て思わず「わっ」と声をあげてしまった。そこには、ぴっちり横分けのミノル君がいたのだった。ミノル君は急いで母親のもとへ走り、嬉しそうにこう言うのである。

「ママ! ママ! サンタさんが! やっぱりサンタさんが来てくれたんだね!?」

サンタが床屋であるというのは、つまりこういうことだと思うのだが、これって果たして嬉しいものなのだろうか?


2000年12月
「仏手柑日和」
2000/12/21 (Thu)

「仏手柑」というのがあるらしい。ぶっしゅかん。もちろん、次期大統領であるブッシュ大統領が、幼少の頃その樹の枝を誤って折ってしまい、それを見つけた父にそのことを正直に告白したことからこの名前が付けられたという話は有名だが、よく考えるとそれはワシントン大統領で、しかも折ったのは桜の樹である。

「仏手柑」というのは蜜柑の一種らしいのだが、その形状が「仏の手」に似ていることからそう呼ばれるそうで、その収穫の映像なんかをテレビのニュース番組で放送していたのだったが、これがどうにもこうにもグロテスクで、もの凄く気持ちが悪いのだった。仏の手と言われればそう見えなくもないものの、そんなことより何より、なんとも言えない気持ち悪さの方が圧倒的に勝っているのである。

仏手柑
仏手柑

なんでも、もっぱらお正月に床の間に飾ったりする観賞用、及び香りを楽しむものだそうで、普通の蜜柑のようには食べられないとか。というか、これを食べるということはきっと、バナナのように蜜柑を食べることになるのでちょっと変な気分になりそうだが、それ以前に、こんな気持ち悪いもの、全然食べたくない。行く所に行けば砂糖漬けされたものなんかが売られているそうだが、「仏の手」を調理してまで食べようとした人がいたというのが凄いと思う。食うなよ、仏の手を。



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