December 01-10,2000

2000年12月
「ドラクエ7日和」
2000/12/10 (Sun)

しばらく前に始めたドラクエ7が全く終わりそうにないのは、週5時間くらいしかしてないからなのかと思っていたのだが、私がやってる所を横から見ていた相方さん曰く「無駄な動きが多すぎる」のだそうである。言われてみれば確かに、明らかに関係ない場所でウロウロしてみたり、意味なく人に話しかけてみたり、同じ場所に何度も行って、同じ人に何度も話しかけてみたりしているような気がするのだが、それはそれで楽しいのだから仕方がないと言わざるを得ない。ただ一つ気がかりなことと言えば、この行動パターンが、一歩間違えれば、ちょっとやばめのホームレスであるということだろうか。


2000年12月
「躁鬱日和」
2000/12/08 (Fri)

学生時代の友人数名に、文章の半分以上が「オイッス! 声が小さい、もういっちょ! オイッス! シーッ! 俺たちは忍者だ!」などという意味のない部分で成り立っているメールを出したら、そのうちの一人から「なんか躁になってないか?」という返事が返ってきた。

ネット上に流れる文章というのは、文字通りの文章でしかないので、そこに気持ちを込めることは結構難しい。手紙やハガキであれば、「直筆で書く」ということによって、そこに感情を込めることも可能なような気がするし、ワープロで打たれた手紙やハガキは、どうも事務的な印象が強く、この事務的な印象を払拭するためには、それを打破するだけの勢いを持った文章でなければならない、というのが私の持論である。

その持論に従って、私は文章を書く際には、意図的に「躁に見えるような文章」を書くようにしている。といっても、昔から文章を書くと、必ずこういう無駄な部分が大半を占めていたような気がするし、以前にも書いたが、小学生の時の日記にしたって馬鹿馬鹿しいことしか書いていない私である。ただ、書く機会が増えたというだけの話だ。つまりは昔から、文章を書く時には、そういう文章を書くように気を使っているということになりそうだが、考えてみれば、私が文章を書く時に気を付けていることは一つだけで、それは「自分が後から読んで恥ずかしくない」ということである。私の中でこれを満たす文章というのが、どうやら世間一般でいう所の「躁の文章」ということになるようである。

では、どう書けば躁な文章になり、どう書けばそれが鬱な文章になるのか。例えば、こういうのはどうだろう。

普通の挨拶:こんにちは。クマゴローです。
 躁な挨拶:コニチハ、クマゴローです。25歳です。
      好きな西田敏行は、西遊記の猪八戒です。

何とも言えない、頭悪そう感漂う挨拶である。これに対して、鬱な挨拶だと、例えばこういうことになる。

 鬱な挨拶:生まれてすいません。クマゴローです。

鬱な文章というのは、2行に一回「すいません」という単語を入れるだけでそれっぽくなるから不思議である。とにかく、なにがしかの理由をつけてあやまる。これだけで、相当な鬱感が得られるのであるが、これが地味に結構つらい作業である。何しろ、本当は悪くないのに「すいません」という単語を文章中で多用するのである。精神的には結構つらい。

だからこそ、私は躁な文章を書くのである。「普通に書けよ」と言われれば、それまでの話である。


2000年12月
「外人カラオケ日和」
2000/12/07 (Thu)

わけあって、外人数名とカラオケに行ったのだったが、彼らがカラオケボックスというシステムを理解していたので驚いた。席に付くなり曲の載っている本をペラペラめくり、番号を覚え、リモコンを押す。画面に出てくる文字に合わせて、マイクを持って唄い踊る。ひたすらテンション高く盛り上がる。もはやカラオケという概念を完璧に理解していると言って過言ではないということに、やけに感心したのだった。カラオケ文化の驚異的な広がり。


2000年12月
「朝食日和」
2000/12/06 (Wed)

同じ会社で働いている女性が、朝食には最低30分かけると言いきったので驚く。結構小柄な女性なのだが、5枚切りの食パンを2枚に目玉焼き、ヨーグルトを食べて、オレンジジュースと紅茶を飲むという。5枚切りの食パンって結構分厚いと思うのだが、時には4枚切りの時もあるという。4枚切りを2枚。6枚切りなら3枚に当たる量である。そんなに食べて大丈夫か。

それにしても、朝ってのは寝過ごすものであって、そんなに時間の余裕なんてないんじゃないのかと思っていたら、彼女は平然と、とんでもないことを口にしたのだった。

「朝ですか? 朝は・・・4時ぐらいに起きてますよ」

24歳の娘が、そんなに早起きすることはないと思う。


2000年12月
「大袈裟日和」
2000/12/05 (Tue)

「大袈裟」という漢字は、結構大袈裟な漢字であることに気付いた。「大」はまあよしとして、その後。「袈」ときて、次にくるのが「裟」。なんというか、ちょっとやりすぎではないだろうか。もうちょっと、落ち着いた漢字はなかったのかと思う。


2000年12月
「坂日和」
2000/12/03 (Sun)

通勤中の電車の窓から「坂製作所」という看板が見えるので、いつも気になっている。

日本中の坂という坂が、この製作所で製作されているとすればどうだろう。そもそも、坂というのものが、わざわざ製作所で、数少ない職人の手によって、プレハブの掘っ立て小屋みたいな所で作られているという事実が凄い。だとすれば、長崎県は坂が多いなどとよく言われるが、それもおそらく、長崎県側の、製作所への発注ミスが原因なのだろう。長崎県と坂製作所が、FAXの字が見えるとか見えないとかいう話で延々揉めた挙げ句、「それも観光の目玉にしたらよろしいんちゃいますか?」という、観光都市・京都特有の皮肉めいた言葉で泣く泣く和解したとか、そういう話ではないだろうか。

「坂製作所」から少し離れた所に、実は、「第二坂製作所」というのがあるのであるが、そんなに坂の受注ってのは多いものなのだろうか。



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